レストラン

 先程から周りの人間の注目を一身に浴びている女性がいる。
 彼女が店に入ってきたとたん、それまで会話が弾んでいたどのテーブルの客も会話を抑えて様子を伺っているほどだ。
 だが、一番熱心に見ていたのは彼女のテーブルの担当になった若いウェイターだった。
 何せ、彼の人生の中でこれほどの美女にめぐり逢ったのは初めての事だ。
 年は30前後。栗色の髪をアップにまとめ、淡いブルーのワンピースに白いカーディカンを羽織っており、その服装がより一層彼女の白い肌を引き立てている。
 ようするに、異性も同性も引き付ける程魅力があるのだ。
(まったく何時まで待たせるのかしら。何時もの事とはいえ、いいかげんにして欲しいわよ!)
 自分がこの店の周りの人間から注目を集めているとは知らないのだろう。
 女性は先程からしきりに腕時計を見ては溜め息をついていた。
 どうやら、待ち合わせの時刻を過ぎても相手が来ないらしい。
 周りの客も店で働いている人間も、興味津々でこの女性を見ていた。
 一体この美女をここまで待たせる相手はどういう人間なのか興味があるのだ。
(いいけどね・・・別に。あの人が無事にここに来てくれるのならそれで・・・)
 彼女は、相手の職業を考えるとまた溜め息をついた。
 ここに来られない可能性のほうが高いのだという事を、何時も頭に入れておかなければならない。 
この女性、顔もスタイルもそうそうお目にかかれない位の美女だが、常人が考えつかないような相手と待ち合わせをしていた。
(思えばろくな事がないのよね・・・二人で出かけると・・・)
 彼女は今まで2人で出かけた場所でのトラブルを思い出すと憂鬱になった。
 初めて食事をすれば、彼の仕事関係の恨みで襲われる。旅行に行けば親しくなった夫婦があろうことか刑事だったとか、とにかく散々な目に合ってきた。一度、殺人の第一容疑者にされた事もあった。もっとも、この場合は笑い事では済まされない。何せ何時も拳銃を携帯していなければならない人間である。それも非合法に。
 あの時の事を思い出して、彼女は軽い頭痛がした。
 この件は違うんです!なんて言えるわけがない。
(呪われてるのかしら、あたしたち)
 彼女がそう思ってふと顔を入り口の方に向けると、待ち人の姿が見えた。

 彼女の表情ががらりと変わった。
先程のいらいらした表情ではなく、安心した顔になった。
 どうやら待ち人が来たようである。
 彼女の表情で感じ取ったウェイターは、さりげなく入り口の方を見た。
 真っ直ぐ彼女のいるテーブルに向かってくる男の姿を見て、店に居る男は息を飲み、女性は溜め息をつく。
 がっしりした体格に、モデルばりの背丈。顔も申し分ない。
 肩幅が広いので、スーツがよく似合っている。
 文句無しに、彼女を待たせるだけの価値がある男だ。
「遅い」 
 席についた男に向かって、彼女がポツリと呟く。
 静かな口調が彼女の怒りの深さをしめしていた。
「悪い。仕事が長引いた」
 男は悪びれた様子もなくそう言うと、手に持っていた小さな籐の籠をテーブルの上に置いた。
 その時、男の左の薬指に指輪がない事に、全員気がついた。
 彼女の左手に指輪がしてあった事は既に確認済みである。
(ひょっとして不倫!?)
 これは楽しくなりそうだと、ウェイターも周りの客もそう思った。
「あら、あたしに?」
 彼女は男が差し出した籠を見た。
 その籠には花でプードルがアレンジしてある。
 最近よく花屋で見かける代物だ。
「偶然目に付いてね」
 男はさりげなくそう言った。
「思いだしたわ」
 女性はその籠を見ながら、ポツリと言った。
「そういえば・・・この間、どこぞのお嬢さんにバラの花束をプレザントしたそうじゃない?」
 その言葉に、メニューに手を伸ばそうとしていた男の手が止まった。
 ウェイターの方からは男の顔は伺えないが、かなり焦っていると思われる。
 何せ、浮気を問いただされたのだ。
 男がどうこの場を切り抜けるのか、周りの客は興味深そうに耳を澄ましていた。
「何時のこと?」
 男はメニューから手を放すと、女性の顔を見た。
 微笑をたやさず、相手の反応を見るのはこの場合の常套手段である。
「3日前・・・くらいだったかしら?冴羽さんが教えてくれたのよ」
 さらりと答える彼女のバックに炎が見えたのは、ウェイターの見間違いだろうか。
「へぇ〜僚がね・・・」
 男は対して気にも留めないといった感じで呟いた。
 だが、ウェイターの目には男の眼鏡奥の瞳が怪しく光り、悪魔の笑みを浮べたように見えた。
(可愛そうに・・・その冴羽って奴、きっと後でボコボコにされるんだろうな・・・あの手の男って、恨みは倍にして返すタイプが多いから・・・)
 ウェイターは会ったこともない男に同情した。
 さすが、接客をしているだけの事はある。
 このウェイター中々鋭い観察眼だ。
「欲しい?バラの花束」
 男の言葉に、彼女は片眉を上げた。
(バカだな・・・あんな言い方したら、ふられるぞ)
 ウェイターがそう思った時、彼女が男の名を呼んだ。
「和斗」
 心なしか、女性の声のトーンが冷たくなったように思う。
「あたしにバラの花束を贈ったら、即効離婚届に判を押すわよ」
 彼女の言葉は、周りの客の予想をあらゆる意味で裏切った。
 何故バラの花束で離婚なのかという事よりも、このカップルが夫婦だった事に驚いていた。
それだけこのカップルの会話が夫婦間のものでは無かったのだ。
(まぁ、最近は指輪をしない人も多いっていうからな・・・)
 ウェイターはそう思うと、彼女達のテーブルに向かった。
 男に呼ばれたのだ。
 
 ウェイターが注文を聞こうとした時、隣からマネージャーの声がした。
「保科様、本日はようこそお越しくださいました」
 マネージャーが挨拶にくるという事は、この男はかなりの上客である。
(邪魔しやがって!)
 ウェイターは、内心隣でにこやかに微笑んでいるマネージャーに悪態づいた。
 このカップルを良く知るには、またとないチャンスだったのだ。
「肉と魚、どっちがいい?」
 男は彼女に尋ねた。
 ウェイターには話しが突飛過ぎて、何の事だか分からなかった。
 だがさすがは夫婦というべきか、彼女は平然とその問いに答える。
「魚」
 その言葉を聞いて、男がマネージャーに料理を注文する。
「彼女は魚を俺は肉でいいから、適当に頼むよ」
 ようやくウェイターは、先程の問い掛けが料理のメインの話であることに気が付いた。
 しかし、長年このウェイターという仕事をしているがこんな注文をする客は初めてだ。
 自分は1回も会った事はないが、どうやらこの店の常連らしい彼の注文の仕方に、マネージャーはさして驚きもせずに、ワインの注文に入った。
「ワインの方はいかがいたしましょうか」
「それもまかせるよ」
 男の言葉に、マネージャーは承知しましたというように微笑んだ。
 そして、軽く会釈するとウェイターを引き連れてその場を後にした。
 
「珍しいわね、あなたがフランス料理だなんて。だいたいがイタリアンか中華か焼肉じゃない?」
 運ばれてきたワインを口に運びながら、彼女が男に言った。
「たまにはいいだろ?」
 男は肩を竦めるとそう言った。
「今日ね、大学で皆と話してたのよ。医者ってね・・・」
 彼女がそう言った時、丁度ウェイターが料理を運んできた。
(ふ〜ん・・・彼女医者なのか・・・それとも大学教授とか・・・そういえば2人ともインテリそうな顔をしてるよな・・・)
 ウェイターはそう思いながら料理を運んだ。
 それに気がついたのか、男が彼女の会話を遮った。
「お互い仕事の話しは無しにしよう。少なくとも食事中は」
 男の言葉に、彼女も納得したのか当り障りのない会話をしだした。
 たまらないのは周りの客とウェイターである。
 彼らは気になって仕方がないのだ彼女のいいかけた後が・・・
 最後にとっておいたお気に入りのおかずを、横からかっさらわれたような気分だった。
(気になる・・・医者ってね、の後がすごく・・・)
 ウェイターはそう思いながら、何気なくマネージャーの方を見た。
 マネージャーが安心したような表情をしたのは気のせいだったのだろうか。

 それから、何事もなく食事は進んでいった。
 ウェイターも周りの客もどこか物足りなさを感じていた。
 そろそろ周りのテーブルもデザートを口にし始めている。
 例外なく彼女達のテーブルにも2つのコーヒーと当店自慢の木苺のケーキが運ばれていた。
「そうそう、さっきの話しの続きなんだけどね」
 彼女がそう切り出したとたん、周りの客もウェイターも一斉に聞き耳をたてた。
「今日大学の講義でね、火傷の症例を幾つか扱ったの」
 彼女の言葉に、ウェイターは自分の観察眼も捨てた物じゃないなと思った。
 医者、大学の講師。2つとも彼女の職業なのだろう。
「それで、幾つか写真を見たのよ。その中にね、ちょうど網目状の焦げ目がついていた症例があってね」
(待てよ、・・・・)
 ウェイターはだんだんやばそうな会話になってきた事に気付き始めた。
「皆が言ってたの。魚が食べたくなったって。だって、とっても美味しそうな網目の焦げ具合だったんだもの。絶対今日の夕飯は焼き魚ねって話をしてたのよ」
「・・・」 
(確かに、今日の魚料理のメインはヒラメのムニエルだった・・・)
 ウェイターは今日のメニューを思い出した。
「医者ってね、夜中に他のグループの解剖死体の臓器を全部入れ替えるくらいの心臓を持ってないとなれない。って言われてたけど私は合格ね。司法病理学なんかを専門にしたおかげで、普通は見ることの出来ないような状態の死体を沢山見れていい勉強をさせてもらってるわ・・・・ねぇ、ちょっと聞いてる?」
 男は両手で顔を覆っていた。
 周りのテーブルでは、彼と同じ反応をしている所と既に食べ終えていたことに安堵の表情を浮べている所があった。
 彼女は何事もなかったかのように、ケーキをほお張っている。
 ウェイターは先程のマネージャーの表情を思い出して、納得した。
 食事中にこんな話しをされたのでは、店側としてははたまったものじゃない。
 無言で手元のデザートを見ていた男は、微かに引きつった笑みを浮べながらケーキを彼女にさしだした。
 なんとなく、ウェイターにも男がそのケーキから何を連想したのかが分かるような気がした。似ているのだ、ケーキの色が新鮮な?血液の色に・・・
 初めてウェイターも周りの客も男に心底同情した。
 そして、何故彼が彼女のようなタイプの女性と付き合っているのか理解に苦しんだ。
 彼の容姿なら、いくらでも他の女性が寄ってくるだろう。 
 彼女は嬉しそうに男の進めたケーキを食べていた。
 男はそうそうに切り上げようと判断したのか、片手を上げてウェイターを呼んだ。
 ウェイターは慌てて彼女達のテーブルに駆けつけた。
 心の何処かに、早く帰って欲しいという気持があったのかもしれない。

 ウェイターは男に耳打ちされた事をマネージャーに告げると、小さな袋をマネージャーから手渡された。
 わずかな隙間から中を覗くと、袋の中には小さな箱が1つ入っていた。
 ウェイターがその袋を大切にテーブルに持っていくと、男は微笑んで礼を言った。
 離れた所から様子を伺っていると、男がその袋を彼女に手渡していた。どうやら彼女へのプレゼントらしい。
(袋と箱の大きさからいって、指輪かな・・・)
 ウェイターはそう思うと、彼女の手元を見た。
 丁度彼女がプレゼントを開ける所なのだ。
 周りもすっかりこの夫婦の虜になったらしい。食い入るようにテーブルを見つめている。
 何せ、こうも外見と中身が違う人間にはそうそうお目にかかれない。
 彼女が箱の中から取り出したのは、小さなピアノの形をしたオルゴールだった。
 彼女も箱の大きさから指輪だとおもったのだろう。
 自分が思っていたのと実物との違いに驚いた表情をしていた。
「この曲!?」
 彼女がオルゴールの蓋を少し開けると、メロディーが鳴り出した。
「俺の心境を的確に現してる曲なんだけどね」
 男の言葉を聞いた彼女の顔が、徐々に赤くなっていく。
 それもそのはずである。
 ウェイターは、よく知っているこの曲の題名を、こういう風に使って口説くとは思っても見なかった。
(天性のプレイボーイだな)
 ウェイターがそう思った時と、彼女が完全にオルゴールの蓋を開けたのが同時だった。
「これ!?」
 彼女がさらに驚いた表情をして、男に尋ねた。
「どうして分かったの!あたしがこれを欲しがっていたこと・・・!!」
「君に似合うと思ってね」
 男の言葉に、彼女は疑いの眼差しを向けた。
 その表情をみて、男はいたずらっ子のように微笑んだ。
「ごめん・・・情報源は、かずえさんだよ」
 その言葉に、彼女は納得したような顔をしたがすぐに困ったような途方にくれたような顔をした。
「凄く嬉しいけど・・・でも、あたしまだピアスの穴をあけてないのよ。それに、しばらくは仕事が忙しいし・・・だから当分は出来ないわ・・・これ」
 その言葉に、男は優しい目をして彼女に言った。
「ピアスの穴ぐらい俺が開けてやるよ、今夜ね」
 その言葉に、彼女ははにかんだ様に微笑むと、困ったからなのか恥ずかしいからなのか上目遣いに男を見た。
 この表情なのだと、ウェイターは直感した。
 この顔を見たいがために、男は彼女にプレゼントをしたのだろう。
 先程、自分の職業の話を得意げにしていた彼女の表情も輝いていたが、こちらの表情の方がはるかに素敵に輝いている。       
 何か久しぶりにいい物を見せてもらったと、ウェイターは心が温かくなった。

「強烈な印象を残す夫婦だろう?」
 彼女達が去った後、マネージャーがウェイターに耳打ちした。
「確かに、いろいろな意味で強烈でした」
 ウェイターが耳打ちした言葉に、マネージャーは微かに苦笑した。
「でも、素敵な夫婦だろう?」
 その言葉に、ウェイターは微笑んで頷いた。
 あんな夫婦、そうそう見られるものじゃない。
 その証拠に、あの夫婦をまた見れるかもしれないという期待を抱いた客が頻繁に足を運んで来てくれるおかげで、店は大層繁盛していた。


「ねぇ、だれか知り合いでもいたの?」
 彼女は男が会計の時に、余分に払っていたのを不思議そうに見ていたのだ。
「ちょっとお世話になっている人達を見つけてね」
 男はそういうと、その人物の顔を思い浮かべた。
 彼女が医者うんぬんの話をしていた時に、なんの抵抗もなく食が進んでいるテーブルがあるのを不思議に思っていた男は、それとなくそのテーブルに視線を向けた。
 そこにいたのは・・・警視庁の凄腕刑事と腕の立つ探偵と今や時の人となっている推理作家という肩書きをそれぞれ持っている姉妹だった。
 彼女と食事をしている時に、知り合いの人間の気配を感じてはいたのだが・・・それが誰かまだは分からなかったが、彼女達ならば納得できた。何せ、彼女の趣味に付き合える友人なのだから。
「でも、あなたが食事代を持とうっていうんだから余程お世話になった人なのね・・・」
 彼女の言葉に、男は可笑しそうに笑った。
「違うよ、ここで恩を売っておけば後々役に立つと思ったからね」
 その言葉に、彼女は呆れて溜め息をついた。
 彼に恩を売られるくらいなら、悪魔に魂を売る方がはるかにましである。
 少なくとも、彼女なら後者をなんのためらいもなく選ぶだろう。
 彼女に出来る事といえば、我が最愛の夫に恩を売られたその人物達に心底同情すると共に、幸多き事を祈るのみである。


 後日、喫茶キャッツ・アイでは・・・
 苦虫を噛み潰したような表情でノートパソコンに向かっている女性推理作家。
 凄い形相で男に仕事を依頼している女刑事と女探偵。
 2人の女性に脅迫まがいの頼みをされて、引きつった顔をしている男。
 平穏を勝ち取った?もとい買い取って満足そうな笑顔でコーヒーを飲んでいる男。
 火の粉が降りかからぬように、そ知らぬ顔をしているマスター夫妻。
 ・・・の姿が見られたという。