苦手なもの

「悪い!匿ってくれ!!」
 夕食後の時間をのんびりと過ごしていた僚と香は突然の訪問者に驚いてドアを見た。
「何したんだ?お前・・・」
 とりあえず、差し迫った危険がないためか、僚はのんきに尋ねる。
 この男がこんな顔をする時は、たいてい美人のかみさんがらみである。
「・・・ちょっとね・・・」
 部屋に飛び込んできた男は、蒼白な顔を引きつらせて答えた。
「とりあえず寛弥が訪ねて来たら、いないって言って」
 男が自分の妻の名を口にして、二人に頼み込む。
「誰が居ないって?」
 背後からの女性の言葉に、男の背中に冷たい汗がつたった。
「・・・お早いお着きで」
 男の言葉を無視して、追ってきた人物は僚と香に手を振る。
 言葉をかけ辛い程の怒りを露にしているその人物に、顔を引きつらせながらも二人は手を振り返した。
「何しでかしたんだよ、彼女に」
 僚が小声で男に問い掛ける。
「別に何にもしてないが・・・」
 和斗も小声で答え返す。
「そうよね。別に何にもしてないわよね。か・ず・と・は!!」
 二人の会話を聞いて、寛弥が嫌味っぽい口調で言う。
「・・・・」
「まぁまぁ・・・寛弥さん、落ち着いて」
 なだめにかかった香を、寛弥が一括する。
「香さんは黙ってて」
「・・・はい」
「寛弥ちゃん、和斗の言い訳も・・・」
「冴羽さんも黙ってて」
「・・・はい」
 寛弥の迫力に押されて、二人とも口をつぐんだ。
 静かに怒り狂っている様は目を見張る程綺麗だが、同時にとてつもなく怖い。
 そんな二人を、和斗が恨みがましい目で見る。
 僚達にしてみれば、そんな目で見られても・・・という思いである。
「和斗、こっち向いてくれる?」
 和斗の体がビクッと反応した。
 冷静な声音の分だけ怒りの度合いは深い。
 振り返ると、案の定、寛弥は目を背けたくなるくらい怒った顔をしている。
「あたし、言ったわよね・・・1週間も前にこの日は空けといてって」
「悪かった。今度こそ必ず・・・!!」
 和斗が必死に手を合わせて、拝む。
「99回目」
 和斗の言葉をさえぎって、寛弥がポツリと呟いた。
「いいかげん聞き飽きたわ。その台詞」
「そうだっけ?」
 和斗のその言葉に、寛弥の眉が寄った。
「もう、頭に来た!!」
 寛弥はそう叫ぶと、宣言した。
「今日からしばらく、家庭内別居します!!」
 言うだけ言って立ち去る寛弥の後姿を、呆然として見送る僚と香。
 頭を抱え込んでしゃがみこむ和斗。
 どうやら久しぶりにでっかい怒りを買ったらしい。
 
 先に立ち直ったのは僚と香だった。
「何やったの?・・・和兄・・・」
「ノーコメント」
「ありゃ相当怒ってるぞ」
「お前に言われなくたってわかってる」
 和斗は盛大なため息をついた。
 理由はわかり過ぎるぐらいにわかってる。
 けれども、これだけはどうしてもダメなのだ。
「で、本当になにやったんだ?」
 僚がやれやれと言うようにため息をつく。
 二人の向かいのソファーにどかりと座り込んだ和斗は、ブスッとした表情をしている。
 これはそうとう言いたくない理由に違いない。
 僚は内心ほくそえんだ。
 普段この男に散々苛められている身としては、ここで恩を売るのも悪くはない。
 ひょっとすると、和斗の弱点も知る事が出来るかもしれないのだ。
 打算的な思いとは裏腹に、僚の表情は真剣である。
「・・・お前、面白がってるだろ」
 和斗の鋭いツッコミに、僚が焦る。
 さすがに長い付き合いなだけあって、和斗には僚の考えが手にとるようにわかる。
 和斗は盛大なため息をつくと、半ば自棄になって答えた。
「定期検診」
「定期検診!?」
 僚と香が同時に叫ぶ。
「どこか悪いの?和兄」
 香が心配そうに尋ねる。
 和斗は肩を竦めて答える。
「肉体的な面でいえば、いたって健康。・・・まぁ、健康診断みたいなものだな」
「たかが健康診断だろ?なんだってそう毎回すっぽかすんだ?」
 僚の言葉に、和斗がとたんに嫌な顔をした。
「嫌いなんだよ・・・」
 和斗がボソッと呟いた。
「嫌いって・・・お前、病院勤めしてるんだろうが」
 僚が呆れたように言った。
 医者が病院嫌いというのも変な話である。
「するのとされるのとは違うの」
 和斗がムッとした表情を浮かべる。
 その瞬間、僚が腹を抱えて笑いだした。
「マジかよ!いい歳した男が病院嫌いだ〜!!ガキじゃあるまいし!!そりゃ、お前・・・歯医者が嫌だってぐずるガキと同レベルじゃないか!!」
「笑っちゃ悪いわよ、僚!」
 そう言って僚をたしなめる香も、うつむいて必死に笑い出すのを堪えている。
「・・・いいから笑いたきゃ笑えよ、香」
 和斗がぶ然とした顔で言う。
 その言葉に、じゃぁ遠慮なくというように、香がお腹を抱えて笑いだす。
 そんな二人の様子を、和斗は苦虫を噛み潰したような顔で見ている。
 
「そろそろ、よろしいでしょうか?お二人さん」
 暫くして、和斗が二人に尋ねた。
「ああ。いや〜久しぶりに笑わせてもらった!」
 僚が目尻に浮かんだ涙を指で拭う。
「そりゃ、どうも」
 和斗が嫌味っぽく言う。
「で、どうすんだよ」
 僚の言葉に、和斗は何が?というように肩眉を上げる。
「そうよ、和兄。どうするの?寛弥さん」
 香の言葉に、和斗はあぁ・・・と呟いた。
「そうとう怒ってたみたいだし・・・寛弥さん」
「何とかなるだろ?」 
 香の心配そうな言葉に、僚と和斗が揃って答える。
 一人分けがわからない香は、キョトンとした顔で二人を見ていた。


 和斗は家に帰りつくと、真っ暗な寝室に足を踏み入れた。
「寝たのか?」
 和斗が寛弥に声をかける。
 何?というように、ベッドの中から寛弥が睨み付ける。
「家庭内別居してるからって、会話しちゃいけないわけでもないだろ」
 寛弥の様子を見て、和斗は苦笑した。
 夜目がきく和斗には、彼女の様子がよくわかる。
「起きてるんならそれでいい」
 和斗が意味不明な言葉を口にすると、寛弥が不信そうな表情をする。
 何を言うのかと和斗の反応を伺っていた寛弥は、それっきり何も言わない和斗にじれた。
「言いたい事があるなら、言いなさいよ!」
 そう言ってから、寛弥はしまったと言うように口元を手で覆った。
 そんな寛弥の様子を和斗が不思議そうに見る。
「あ〜あ。またやっちゃった・・・」
 寛弥はため息をつくと、言葉を続けた。
「あなたと会話すると、絶対許しちゃうから今日こそは会話しないって決心してたのに・・・」
「お前、それ98回目」
 和斗の言葉に、寛弥が苦笑して答えた。
「今日で99回目よ。まさか、あんな見えすいた誘導尋問に引っかかるなんて・・・」
 心底悔しそうに言う寛弥の様子に、和斗が微笑んだ。
「別に誘導尋問した覚えはないんだけど」
「思わず聞き返ししたくなるような言葉を投げかけるあたり、計画的なのよ」
 寛弥はベッドから起き上がると、壁に身を預けて枕を抱え込んだ。
「来年の誕生日には、あなたの定期検診でもリクエストしようかしら」
 寛弥は抱えていた枕に顎を乗っけて言った。 
 和斗はそんな寛弥の様子を微笑ましく思い、彼女のベッドに同じように壁に背を預けて腰掛けた。
「ねぇ、聞いてもいい?どうしてそんなに検診が嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ。苦手なの」
 その言葉に、寛弥が不思議そうな顔で和斗を見上げた。
「その差は何?」
「俺の嫌いなものは?」
 和斗の質問に、寛弥が即答する。
「クリスマスと教会とロウソク」
 和斗は満足そうに頷く。
「俺にとって嫌いなものは立ち入りたくもないし、立ち入られたくもないの」
 和斗の言葉に、寛弥が一瞬だけ悲しそうな顔をした。
「じゃぁ、あなたの苦手なものは?」
「お前の泣き顔と怒った顔と検診」
「何よ、それ・・・」
「どれもどうしたらいいか困るから。泣かれたらどうしようかと思うし、怒ってたり検診と言われれば、どうやって逃げようか悩む」
 寛弥は何か釈然としないものを感じた。
「じゃぁ、好きなものは?」
 和斗の肩に頭を預けると、ついでに聞いた。
 彼がこうも素直に語る事など少ないからだ。
「お前の笑顔と存在と手料理」
「褒めても何にも出ないわよ」
 寛弥は気恥ずかしそうに笑った。
「それは残念。そういうお前の好きなものは?」
「あたし?」
「当然、俺と同じ答えだよな」
「あなた、同じ答えを期待するほど手料理を食べさせてくれたかしら?」
 寛弥の言葉に、和斗が一瞬考え込む。
「・・・ないな」
「でしょ?まぁ、でも教えてあげるわ」
 寛弥はそう言うと、和斗の顔を両手で挟んで自分の方に向けた。
 和斗の顔からメガネを取り外すと、ベッドサイドのテーブルに置く。
「あたし、あなたの吸い込まれそうな瞳と優しい笑顔が好きよ」
「じゃぁ、俺自身は?」
「その答えを聞きたいのなら、先にあたしの質問に答えて」
「俺が答えられるもの?」
「ていうか、答えてもらわなければ困るかな?」
 その言葉に、なんだ?というように和斗が肩眉を上げる。
「さっきから疑問に思ってたんだけど、どうしてあたしの怒った顔と検診が同レベルなわけ?そこらへんをきっちり聞かせてもらいたいんだけど」
「・・・・」 
 寛弥はきっちりという部分の語調を強めると、無言の和斗の顔を見据えた。



 彼の安息の日々は当分訪れそうにない。 





言い訳:まなつさんから頂いたイラストのお礼リクです。
    お題は「あたふたする和兄」
    いかがでしょう?あんな素敵なイラストにこんな駄作ですいません。