独占欲
 
 
 保科和斗という人物を一言で言うなら、『雲のような存在』だと言った人物がいる。
 掴み所のない性格や、人によって様々な印象を与える姿が、流れる雲のようらしい。
 もっともな意見だと思い、妙に納得した覚えがある。
 職業的なものか、もって生まれたものかは知らないが、実に何を考えているか分からない秘密主義でいて捉え処のない性格は、まさに流れる雲のごとくである。
 あの性格に慣れている自分が思うのだから、他人はなおさらそう思うのだろう。
 
 明かりの灯っていない自宅を見つめながら、ふとわが夫の事を考えていた寛弥は、大きなため息を吐いた。

 思い起こせば、今日は散々な一日だった。
 朝から解剖が3体も入りクタクタの所に、教授に呼ばれ何処かの大学から来たエリート君の案内を頼まれたのだ。それだけならば我慢もしようものだが、何を勘違いしたのか、いきなり押し倒してきた。セクハラを通り越して、既に犯罪の域に達しているのだから、いい加減に堪忍袋の緒も切れるというものである。手近にあった医学書で引っ叩いて、怒りに任せて大学を出たのが1時間前である。
 いくら今日は遅くなるとは言っても、本来ならば今頃は自宅でのんびり一人の時間を満喫し、(帰ってきていると仮定して)和斗に一日の出来事を聞いて貰っているのだが・・・現実は真っ暗な家が待っているだけである。
(遅くなるなら、遅くなるって言ってよね!!)
 怒りの矛先を居ない夫にむけて、やる場のない気持ちを落ち着かせる。

 
 寛弥が玄関に入ると、見慣れた靴が揃えて置いてあった。が、室内からは人の気配というものがまったくしない。寛弥は首を傾げると、扉が開いているキッチンに足を向けた。
 そこに居たのは、テーブルに浅く腰掛けて、タバコを吸いながら物思いに耽っている和斗だった。そんな彼の様子に、寛弥は内心ため息を吐く。
 
 たまに、こうやって暗闇の中で物思いにふける和斗を見ることがある。昔は心配に思い理由を尋ねていたが、頑なに言おうとしない和斗に、いつしか寛弥も何も聞かなくなった。ひょっとすると、理由など無いのではないか。何か・・・疲れきった事や考え事があると、こうやって物思いにふける回数が多いという事実に、最近になって寛弥は気付いた。
 ただ困ったことに、そんな時の和斗の姿はゾクッと感じるくらい色気があるのだ。
 疲れている時に目の当たりにするものではない。
 猫にマタタビ。
 蜂に甘い蜜。
 そこら辺で出回っている催淫剤より性質が悪い。

「どうかしたのか?」
 一向に入ってくる様子のない寛弥を、和斗が訝しがる。
「電気もつけないで何してるのよ」
 内心の考えを悟られないよう、勤めて明るく言いながら足を踏み入れた。
「ん〜今日は満月だろ?それに、俺一人なら電気点けなくても十分明るいし」
「へ〜今日は満月なんだ」
 興味深そうに窓の外を見る振りをしながら、さりげなく視線を和斗に向けた。
「何だよ?人の顔見て・・・何かしたか?俺・・・」
 その言葉に、寛弥は内心舌打ちした。
 
 やはり、先程から自分の気配に気づいていたのだろう。ひょっとすると、家の前にいた時から気づいていたのかもしれない。 
 
「ひょっとして、誘ってる?」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、和斗が言った。
 なんの事か分からずにキョトンとしている寛弥に、さらに和斗が畳み掛ける。
「これから出かける約束してるから、俺にその気はないんだけどね・・・なんなら、その気にさせてみる?」
 やっと和斗の言っている意味が理解できた寛弥は、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「下世話な勘繰りしないでよ!!」
 言葉とは裏腹な内心を見透かされているような気がして、寛弥は慌ててキッチンを後にしようとした。
「出かけるって、一人で?」
 すれ違いざま気になって尋ねる。
「僚と飲みに」
 その答えに、寛弥の足がピタリと止まった。
 僚が相手となれば、8割方は彼好みの店になる。
  
 脳裏に美女に囲まれている和斗の姿が浮かぶ。
 別に彼を疑っているわけではない。
 その点では、香には悪いが恵まれている。が、僚と一緒だということは仕事である可能性も否定できない。となれば、必要とあればそういう行為を行う事をなんとも思わない和斗である。ゆえに、隠し立ては一切しない。まぁ、本人が仕事とわりきっているだけ救いではあるが・・・

「寛弥」
 まるで心情を見透かされているかのような優しい声音に、振り返る。
「来いよ」
 優しい目で寛弥を見ながら、片手を差し出している。
 それに誘われるかのように、寛弥は和斗の手を取る。
 それを確認すると、和斗は力強く引っ張り寛弥を抱き寄せた。
 
 和斗の背に腕を回し、顔を胸に埋める。
 無条件で安心出来る男の体温とにおいに、泣きたくなる。
 いかに疲れているのか実感した瞬間だった。
 こういう時の和斗は何も言わない。ただ、黙って自分が気の済むまでこうやって傍に居てくれる。それでいて、本当に助けが必要な時はちゃんと手を差し伸べてくれるのだ。程よい距離を保って接してくれる和斗に、何度感謝したことだろう。特に、仕事上言えない事も多いし、意地を張っている時もある。何も聞かずに、傍に居てくれる事がこんなにもありがたいことだとは思わなかった。
 
 寛弥は顔を上げると、そっと和斗に口付ける。
 そう言えば、昔はよくこうして自分から誘っていたものだ。
 そんな風に思った理由は、和斗の今日の服装にあった。 
 FBIを辞めてから、殆ど着なくなった紺系のスーツ。更に、あの頃を思わせるかのように、きちんと髪までセットされている。
 ワイシャツ姿の和斗は妙に色気があるのだ。
 特に、腕を捲り上げて、ネクタイを少し緩めている姿を見て、何度押し倒したことか。
 久しぶりに昔に戻るのも悪くない。

 寛弥は微笑むと、和斗のメガネを顔から外してテーブルに置いた。
 そして、再度和斗に口付ける。
 誘っているかのように微かに開けられた和斗の口内に、躊躇う事無く舌を入れ絡める。
 崩れないよう、自分の背に腕を回し支えてくれるさり気ない気遣いに内心微笑みつつも、余裕のある態度に、少しムッとする。
 寛弥は更に舌を絡めると、空いている手で和斗のネクタイをはずした。
 誘うように、ゆっくりと和斗の首筋を撫でるとシャツのボタンをはずす。
 唇を首筋に移動させ、啄ばむような口付けを首筋に沿って落とすと、はずしたボタンの間から手を差し入れ、Tシャツ越しに体を撫で回した。
 
 瞬間、手を掴まれると体を反転させられる。
「さっきまでの余裕はどうしたのかしら?」
 テーブルと和斗に挟まれながら、先程とは打って変わって余裕の表情で寛弥が問う。
 その言葉に、和斗は嫌そうに顔を顰めた。
「おまえが、あんな風にするからだろ」
 渋々といった口調に、寛弥がしてやったりといった表情で片眉を上げた。
「懐かしいでしょ?最近はあんな風に誘うなんてことしなかったものね。でも、誘ってみろっていったのはあなたでしょ?」
「あぁ、そうだよ。俺の負けです!」
 和斗はそう言うと、寛弥の首に顔を埋める。
 その時、寛弥の脳裏に大学での出来事がよみがえった。
「いや!!」
 そう叫ぶと、寛弥は力強く和斗を押しのけた。
「寛弥?」 
 思いがけない抵抗に、和斗が訝しがって寛弥の顔を見る。
 和斗に悟られたくない寛弥は、慌てて別の理由を考えた。
「ここじゃ、やだ」
 まるで駄々っ子のような口調に、和斗はため息を吐いた。
「いまさらでしょうが」
「でもやだ」
 寛弥の言葉に、和斗は視線をリビングのソファーに向ける。
 寛弥も和斗の視線を追い、言わんとする事を理解した。
「・・・男って、どうして手近で済ませようと思うのかしら・・・」
 その言葉に、和斗は視線を寛弥に戻す。
「男にしてみれば、女はどうしてベッドでやりたがるのかね」
 和斗の言葉に、寛弥も視線を和斗に戻す。
 暫し見詰め合った後、二人同時にため息を吐いた、
「不毛ね」
「だな」
 こんな事で時間を費やせるかという意見の一致を見た和斗は、テーブルから体を退けると、寛弥を起こした。
「しっかり、掴まってろよ」
 和斗はそう言うと、寛弥の体を担ぎ上げた。
「きゃぁ!!」
 驚いて寛弥が悲鳴を上げると、和斗がうるさそうに顔を顰めた。
「耳元で騒ぐな」
「あたしは荷物!?」
「そ。大事な荷物。今から寝室に持ち帰って楽しむんだから」
 その言葉に、寛弥は嬉しそうに微笑むと、悪戯心でそっと耳元に囁いた。
「和斗、愛してる」
「そういう言葉なら、何度でも耳元で騒いでくれてかまわんぞ」
 嬉しそうに言う和斗の様子に、寛弥の笑顔も更に広がった。


 疲れきっていながらも、満ち足りた表情を浮かべて眠っている寛弥を、和斗はベッドサイドに腰掛けながら眺めていた。
 その表情は、誰も見たことがない程穏やかだった。
 和斗はサイドテーブルに置いてあるタバコに手を伸ばすと、一本取り出して火を点ける。
 ふと、家の外に全く知らない男の気配を感じた。
 瞬間、和斗の表情が一変して鋭くなる。が、素人の気配に首を傾げた。
 門の前で躊躇っている様子に、和斗は不思議に思って立ち上がると、応対するべく部屋を後にした。

「家に何かようですか?」
 玄関の扉を開けて外に出ると、立っていた男に尋ねた。
「君こそだれなんだ?」
 男の横柄な態度に、和斗は益々不審を募らせた。
「ここは、私の家ですが?」
 男は驚いて、和斗と手に持っていた女性用のバックと表札を交互に見比べた。
「ここは麻生寛弥という女性の家じゃないのか?」
「寛弥は、私の妻ですが?」
「妻・・・」
 期待はずれの表情を浮かべた男を見て、和斗の脳裏に素早く数式が立てられる。
 嬉々として寛弥のバックを持っている男+(先程の突然思い出したかのような寛弥の脅え×寛弥は気づいていない首筋のキスマーク)+男の落胆した表情=攻撃対象兼駆除対象の男である。
 和斗は瞬時にそう判断すると、威嚇モードに視線を切り替えた。
 突然雰囲気の変わった和斗に脅えながらも、男は手に持っていたバックを差し出した。
「怪しい者じゃない。奥さんの忘れ物を届けに来ただけだ」
 少しも悪びれない様子に、和斗は内心呆れ返っていた。
 訪問には似つかわしくない時間に来ておいて、怪しくないとはよくぞ言ったものである。
 表面上は笑顔を浮かべながら、和斗はお礼を言い男からバックを受け取った。
「何をしてる?」
 男は、和斗が渡したバックの中身を調べているのを見て、不思議そうに尋ねた。
「職業柄、つい中身を確認するのが癖になってるんですよ」   
 その言葉に、男は何を勘違いしたのか慌てて立ち去って行った。

「可哀相に。蛇に睨まれた蛙だな」
 面白そうに男の後姿を眺めながら、駐車場の陰から僚が姿を現した。
「人の者に手を出そうとするほうが悪いんだろうが」
 容赦のない言葉に、僚は肩を竦める。
 一見クールに見えるが、寛弥に関してこの男はかなり独占欲が強い。
 それこそ彼女の知らない所で、どれだけの男共が闇に葬り去られたのか・・・考えるだけで恐ろしい。
「何か激しい誤解をうんだような気がしないでもないんだが・・・」
「お前の格好のせいだろ?」
 興味無さ気に、僚が顎で示した。
「あぁ」
 成る程といった様子で、和斗が納得する。
「わざとだろ」
 僚の言葉に、和斗がニヤリと笑う。
 今の和斗の格好は、素肌の上におざなりに羽織られたシャツだけである。
 どう見ても、今までやってましたと言っているようなものである。
 それで居て、丁度シャツの隙間から見える位置に銃創があるものだから、良くて警察官悪くてヤクザとどちらでもとれる。
「悪いけど、この時間ならまだ楽しめそうだからな。今日の話は無かった事にしてくれ」
 そう言って玄関の扉に手をかけた和斗を、慌てて僚が呼び止めた。
「それはないだろ!和斗!!」
 僚の叫びを背中越しに聞きながらも、無常にも和斗は家の中に姿を消した。
 もちろん、鍵をかけることも忘れずに。


「冴羽さん?」
 寝室に戻った和斗に、寛弥が尋ねる。
 和斗は特に返事をするでもなく、部屋の明かりを点け寛弥を一瞥した。
「出かけるんじゃなかったの?」
 先程とは様子が違う和斗に、寛弥が心配そうに尋ねる。
「出かけるつもりだったよ。ついさっきまではね」
 その言葉に、寛弥は無防備な表情で首を傾げる。
 起きぬけで、頭が回転していないのだろう。普段ならば気づくはずである和斗の異常な雰囲気に全く気づく様子もない。
 そんな寛弥に向かって、和斗が男から預かったバックを投げだ。
 受け取ったとたん、一気に寛弥の意識が覚醒する。
 どうしたのだといった表情で和斗を見る。
「さっき男が届けて来たぞ」
 寛弥の表情が青ざめたのを見て、和斗の苛立ちが益々募る。
「何か言ってた?」
「別に。それとも、何か言われるような事でもあるのか?」
 和斗の言葉に、寛弥は思いっきり首を左右に振る。
「・・・変な事してないわよね?」
 上目遣いで探るような視線を和斗に向ける。
「失礼な。紳士的に振舞まったさ」
「口調と言葉が合ってない」
 ボソッと呟いた寛弥に、和斗が眉を顰めた。
 それを見て、なんでもないというように愛想笑いを浮かべる。

 この男のことだ。紳士的に振舞ってはいても、吐かれた言葉は毒舌を通り越して呪いになっているに違いない。
 ま、いい気味だわ。
 深く考えることを止め、とにかく気持ちを切り替える。今は和斗の機嫌を直すことのほうが重要である。
 
 寛弥はため息を吐いた。
 一つだけ方法はあるのだ。
 あるのだが・・・日に二度もやれるものではない。
 少なくとも自分は・・・
 チラッと和斗を盗み見ると、ばっちり視線が合ってしまった。
 さてどうするというように、和斗は片眉を上げる。
「・・・少し考えさせて・・・」
 泣きそうな表情を浮かべて、和斗に頼み込む。
「いいけど・・・早く決断しないと、キレルよ」
 ニッコリ微笑む和斗の笑顔に、寛弥は薄ら寒いものを感じた。

(やっぱり、今日は最悪の一日だわ)
 寛弥はそう思うと、顔を伏せて盛大なため息をついた。