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「ちょっと、いいかね?」
教授は声をかけると、寛弥の部屋に足を踏み入れた。
(う〜む・・・まるで南極大陸にでも放り出されたような心境じゃな・・・)
教授は冬眠の亀よろしく、布団に潜り込んでいる寛弥の姿を見て思った。
教授はやれやれといった表情で、近くの椅子に腰掛ける。
「時に・・・我が家のトイレの前で、図体のデカイ男が悶え苦しんどったが・・・あれは君の仕業かね?」
「・・・そんなに苦しんでました?」
少しためらった後、くぐもった声がした。
「あやつにしては珍しくな・・・奴になんか言われたか?もしよかったら話してみんか。事の次第によっては、わしがお灸を据えてやる」
教授の優しい口調に幾分落ち着いたのか、寛弥はポツリポツリと話だした。
「あの人に・・・結婚しよう・・・て言われて・・・」
教授はその言葉の意味がいまいち理解出来なかったため、しばし瞬いた。
「わしの聞き間違いじゃなきゃ、結婚と聞こえたんじゃが・・・」
「・・・・・」
沈黙がYESと語っていた。
その瞬間、ようやく教授の頭がこの単語の意味を理解した。
「お前さん、プロポーズした相手を殴り倒したんか!?」
前代未聞の出来事に、思わず教授は声を張り上げた。
成る程、和斗の理解不能な状況というのも頷ける。
プロポーズした相手に殴り倒されるなんて、一体誰が想像するだろうか? 和斗でなくとも、頭の整理が必要だろう。
「・・・殴り倒す程、奴が嫌いじゃったか?」
教授の記憶が確かならば、彼女達はずっと互いが好きだったはずである。
「そんなわけないじゃないですか!!」
今度は瞬時に返答が返ってきた。
「じゃったら、何で・・・」
「絶対、手に入らないって分かってたから・・・あきらめてたのに・・・それなのに、あんな事急に言うから!!ビックリして・・・それで!!」
「・・・・殴ったんか・・・」
「穴掘って、埋まりたい・・・」
それは和斗の方だと思うが・・・という言葉を、教授はすんでの所で飲み込んだ。
彼の医学知識の中で、こんなリアクションをした患者は初めてある。
まして、今までの長い人生経験の中でも・・・今回のような事は初めてかもしれない。
「しかし・・・一体どういう殴り方をすれば、あの男があそこまで苦しむんじゃ?いくらお前さんがFBIの訓練を積んでるといったって・・・同じように訓練を積み、尚且つ実戦経験のある奴の方がはるかに腕は上じゃろ。・・・まがりなりにも、あやつはその道のプロじゃぞ」
彼女のリアクションに驚いたという事を差し引いても、教授は和斗の苦しみ様を不思議に思っていた。
「もう、頭が真っ白で・・・わけが分からなくなって・・・ドアを開けた瞬間・・・傍にあったトイレットペーパーを顔面に投げつけて・・・勢い掴んだトイレットペーパーでボデイーブローをくらわした反動で後頭部に・・・」
「・・・何でそこまで・・・」
「・・・あまりにも見事に決まったもんで・・・つい・・・」
「・・・・」
確かに、相手がふいをつかれるという状況は、見事に決まれば決まるほど悦になるものだ。ましてやそれが常日頃から適わない相手なら尚更だろう。
気持は分かる。分かるが・・・教授は頭を抱え込んだ。
穴に入りたいのは教授の方である。
「・・・奴を回収してきた方がよさそうじゃな」
教授はそう言うと、部屋を後にした。
「歩けるかね?」
何とか壁に手を当てて体を支えながら立っている和斗に、教授は尋ねた。
「あいつは?」
「心配せんでも、落ち着いたわい。とりあえず、お前さんの治療をせんとな」
教授は着いて来いと言うと、診察室に歩いて行った
「すいません、教授」
和斗は診察している教授に、一連の騒ぎを謝った。
別に気にしないと言うように、教授は微笑んだ。
そして、急に真顔になって言った。
「彼女、わしにくれんか?」
「はぁ!?」
真面目な顔して何を言ってるんだ?という表情を和斗は浮べた。
教授は可笑しそうに笑うと、鳩尾を指差した。
「ほれ、綺麗なドーナッツ型の痣が出来とる」
教授の指差した所を覗き込むと、和斗はとたんに嫌な顔をした。
「柔らかい横の部分じゃなくて、固い縦の部分で殴るとはな・・・」
「何が言いたいんです?教授」
「さすがは、お前が惚れた女性だけのことはある」
心底感心した口調の教授の言葉を聞き流すと、和斗は盛大な溜め息をついた。
「厳重注意ですね」
和斗の言葉に、ふと教授が神妙な顔をした。
「当分、SEXは控えた方がいいぞ」
「・・・痛みますかね・・・」
「ものすご〜くな」
「・・・っていうか、そっち方向に話を持ってくあたりが教授ですよね・・・」
和斗の呆れた視線を受け流すと、教授は咳払いをした。
そして、これまでとはうって変わって真剣な口調で話し出した。
「正直に言うとな、わしはお前さんがどうするのか心配じゃった・・・家族を失い、親友を亡くして・・・お前さんはもう誰も寄せ付けないんじゃないかと思うてな」
その言葉に、和斗は神妙な顔をした。
「最初はそういう考えでした。あいつの為にもそれが一番いいんじゃないかと・・・随分悩みましたよ。あいつを受け入れた時から・・・彼女にとって1番いい方法は何なのかと・・・」
「記憶を消して、一からやり直すという手もあるぞ。彼女なら、まだ適用出来るとじゃろ。お前さんが大事に守っとっただけあって、裏の世界にはそう知れ渡ってないからな。彼女のことは」
教授の言葉に、和斗は静かに頭を振った。
「それは無理ですよ、教授。幾ら記憶を消そうが、完璧に別人に成りすまそうが・・・自分自身からは逃れられないんです。・・・俺はそれを嫌というほど知り尽くしてますから・・・」
和斗の言葉に、教授は内心溜め息をついた。
この男もまた、彼女と同じくらい数奇な運命をたどって今に至る。
だからこそ、互いに惹かれあうのかも知れないが・・・
「結局、次々と浮かんだ答えを否定していったら・・・最後に残ったのは自分のエゴだけだったんですよ」
「エゴ?」
「ええ・・・手放すには・・・自分の本心を知りすぎてしまったから・・・」
和斗は自嘲気味に笑うと、言葉を続けた。
「あの時・・・あいつを見つけた時・・・心に浮かんだのは、相手に対する憎しみでも自分に対する怒りでもなかった・・・」
和斗は両手で顔を覆うと、血を吐き出すかのように声を絞り出した。
「他人に壊されるくらいなら・・・いっそ、自分の手で・・・」
もういいというように、教授が和斗の頭に手を置いた。
そして、軽く2,3回叩いた。
お前の気持は分かったから。
そう言われてるような気がした。
「どうするね?もう一回会って行くか?」
教授の言葉に、和斗は微笑むと首を振った。
「明日の夜、また来ます。いろいろ自分なりに整理したい事もありますし、用意しなければならない物もありますから」
その言葉に、教授はニッと笑った。
「落とせるのか?彼女を」
「一体、何年彼女と一緒にいると思ってるんですか?あいつの事なら、誰よりもよく知ってますよ。必ず、あいつの左手に指輪をはめさせますよ」
和斗は不適に笑うと、一礼して教授宅を後にした。