Treasure

「僚のバカ!!」
 香は持っていたクッションを僚の顔に投げつけた。
「ちょっと待てって!」
 僚は何とか香と話をしようと、香の腕を掴んだ。
「放して!」
 香は僚の腕を振り切ると、その場から逃げるように走り出した。

「なんでこうなったんだろう・・・」
 僚はそう呟くと、ソファーに座り込んだ。
 かすかに、玄関の扉が開く音が聞こえた。
 どうやら香が怒って外へ出て行ったようだ。
 それが分かっていながら、僚には香を追う事が出来なかった。
 いや、既に頭が働いていないのかもしれない。
 普段の僚ならば、どんな喧嘩をしたとしても、こんな夜遅くに香が家を飛び出せば必ず探しに行くはずである。
「まずった・・・」
 僚は頭を抱え込んだ。

「香?」
 香は聞きなれた声に呼ばれて、立ち止まった。
 振り向くと、同業者の保科和斗が不思議そうな顔をして立っていた。
「和・・・兄・・・」
 香は兄のように慕っている和斗の顔を見たとたん、今までこらえていたものが溢れ出した。
 涙を流して抱きついてきた香を、和斗は驚いて見下ろした。
「何だ、また僚と一戦やらかしたか」
 和斗の言葉に、香は頷いた。
 予想通りの答えに、和斗は軽い溜め息をついた。
 香がここまで同様するとは、余程の事だ。
時刻は既に女性が一人歩きするには危険な時間を指しており、彼女の服装も冬の夜に出歩くにしては自殺行為にとられないくらいの薄着だった。
「あんまり感心しないな。こんな時間にそんな格好で出歩くのは」
 その言葉に、香はますます落ち込んだ。
 兄と古い知り合いである和斗に言われると、まるで兄に言われたような気分になるからだ。
 和斗は目の前の公園に香を連れて行くと、着ていたコートを脱いで香に着せてやる。
そして、先程自分が飲もうと思って自販機で買ったホットコーヒーを手渡した。
「ありがとう・・・」
 香はコートと缶コーヒーの礼を言った。
「俺が飲もうと思ってたから、ブラックで悪いな」
 香があまりブラックを好まないのを知っているので、和斗は一言そう言うと近くのベンチに腰を降ろした。
 香も和斗の横に腰を降ろす。
 缶コーヒーの温かさは、冷えた体にはありがたかった。
「喧嘩の原因は何なんだ?」
 香が一息ついたのを見計らって、和斗が尋ねた。
「見たの・・・」
 香がポツリと呟いた。
「見たって何を?」
「僚が女の人とホテルから出て来る所・・・」
 その言葉に、和斗は神妙な顔になった。
「あのもっこり男が、あたしなんかで満足するわけがないって分かってはいるんだけど・・・別に自惚れてるわけじゃないのよ。自分にそんな魅力がないって事は百も承知してるけど・・・何かショックだった・・・」
「そんな事ないよ」
 ますます落ち込む香を元気づけるように和斗は言った。
 香はうつむいて黙り込んでいた。
 恐らく彼女は知らないのだろう。香とそういった関係になってから、僚がそういう類の女性達と縁を切った事を。
 まぁ、自分や僚を筆頭として、香の周りにいる人間が彼女をそういう界隈には近寄らせないようにしているので知らないのも無理はないが・・・。
 だが、何か心に引っかかる事があったため、和斗は香に尋ねた。
「何処のホテル?」
 そんな事をきいてどうするのかといった顔で、香は新宿ではそこそこの部類にはいるホテル名を告げた。
 そのホテル名を聞いたとたん、和斗は大きな溜め息をついた。
「悪い。それ、俺が頼んだ件だ」
 和斗の意外な言葉に、香はポカンとした。
「ちょっ・・・どういう事!?」
「表の仕事でちょっと厄介な相手にあたってね。俺が行くとやばそうだったから、変わりに行ってもらったんだよ。まさか依頼という形で接触してくるとは思わなかったから。何時もは努が変わりに行くんだけど・・・丁度あいつ出かけててね」
 香は思いもよらない言葉に、呆然としていた。
 よもや、何時もの言い訳だと思っていた僚の言葉が本当だったとは・・・
「バカみたい・・・勝手に勘違いして・・・」 
 自分のバカさ加減に、笑い出したくなった。
 僚にも申し訳ない事をしたという思いで、胸が苦しくなる。
「いいんじゃない?たまには。どうせ、あいつがまた余計な事でもいったんだろ」
 和斗の言葉に、香は微笑んだ。
 たわいもない一言ではあったが、香の心を軽くするには充分だった。
「失礼しちゃうのよ、あたしみたいな男か女か分からないような奴よりいいっていうのよ!?」
 香の言葉に、和斗は軽く目を見開いた。
 そういう対象の相手に言うにしては何ともマヌケな言葉である。
 余程、動揺していたとみえる。
「いちいち僚の言うことに耳を貸してたら、身が持たんぞ」
「それはそうなんだけど・・・あ〜あ、美樹さんの所や寛弥さんが羨ましい」
 香の言葉に、和斗は自虐的な笑みを浮べた。
「海坊主の所はともかくとして、家は羨ましがられる程のものじゃないよ。」
 和斗はそう言うと、溜め息をついた。
「ある人に言わせれば、俺達は傷を舐めあってるだけだってさ」
 その言葉に、香は顔を曇らせた。
 大まかな概要しか自分は知らないが、この人もまた、稀に見る数奇な運命を歩んできたのだ。僚と匹敵するくらいの・・・
 ふと、あることに気が付いて、香は和斗の顔を盗み見た。
 古くからの知り合いにしては、自分はこの人の事を何も知らないのだ。
 表の仕事を持っている事自体初耳である。

「香の宝物って何?」
 唐突な和斗の質問に、香は戸惑った。
「・・・宝物・・・?・・・兄貴の指輪かな・・・」
 暫く考え込んでから、香はそう答えた。
「指輪?」
「そう。それがあると、兄貴が傍にいるような気がするの。この指輪にはいろんな思いが詰まってるから。寂しい時や落ち込んだ時、よくこれを眺めてたから」
 そう言って微笑む香の頭の中には、色々な思い出が駆け巡っていた。
 槙村と過ごした思い出。
 僚と過ごした日々。
 そのどれもが、かけがえの無いものである。
「和兄の宝物は?」
「それは今度のお楽しみ」
 その言葉に、香は膨れっ面をした。
 顔全体でズルイと表現している香を、和斗は苦笑しながら見ていた。
「答えたいのはやまやまだけどね、もう帰る時間だよ。宿題にしておこうか」
 和斗は香を立たせると、香の飲みかけの缶コーヒーを受け取った。
 公園の入り口に2人が着くと、丁度目の前に見慣れた車が停車した。
「1時間くらいか?」
 和斗は車から降り立った僚に向かって、そう言った。
 その言葉に、僚は嫌そうな顔をした。
 なにせ、喧嘩の原因を作った男が目の前にいるのだ。
「ちゃんと、俺の身の潔白は証明してくれたんだろうな」
 僚は香に、持ってきた厚手のカーディガンを手渡しながら和斗に言った。
「不本意ながらね」
 和斗は香からコートを受け取って羽織りながらそう言った。
「不本意だ!?当然の義務だろうが!!」
 その言葉を聞いて、和斗は実に楽しそうに笑った。
 少なくとも、香の目にはそう見えた。
 だが、当の笑みを向けられてる僚にしてみれば、さしずめ悪魔の笑みに見えた事だろう。
「香が飛び出して行ったのは、俺の件が原因か?違うだろ。お前の一言のせいだ。言ったことを後悔して1時間近くも呆けるくらいなら、はじめっから言うなよ」
 その言葉に、僚はぐっと言葉を飲んだ。
 香も意外なことを聞いたというように驚いていた。
「だいたい、お前もお前だ。俺の言うことを、信じろ!」
 僚が香に向かって言った。
 その瞬間、和斗と香の声が見事にハモった。
「日頃のおこないが最悪な奴の何を信じろと?」
 その通りではある。  
 僚は香達の傍に回りこむと、和斗にむかってがなった。
「そもそも、俺は相手が同業者だなんて聞いてないぞ!!」
「やっぱり同業者だったんだ」
「おま・・・!?俺は散々な目にあったんだぞ!!一体どういう診察してんだよ!!」
「診察!?って・・・え?お医者さん!?」
 香は驚いて僚に聞いた。
「ああ。何とかっていう個人経営の病院で働いてる」
 僚は興味ないというように答えた。
 この男にとって、看護婦の居ない病院の名前なんてどうでもいいのだ。
 何かあった時のために場所は記憶している。それで充分だ。
「・・・やっぱり、診察でそういう事になったりするわけ?」
 香は喧嘩の原因となった一件を思い出して尋ねた。
 その言葉に、僚はポツリと呟いた。
「お前の想像と現実はかなり違うと思うぞ」
「え!?だって・・・」
 香は頭の中に、世間一般の医者の診察風景を思い描いていた。
「主にカウンセリングをやってるからね。まぁ、頼まれれば診察の方もするけど」
 和斗の言葉に、僚が補足する。
「わけあり患者専門のな。・・・知るひとぞ知るってやつだ。」
 香はまじまじと和斗の顔を見た。
 意外に思う反面、妙に納得してしまう。
「帰るんなら、ついでだから送ってくぞ」
 僚がそう言うと、和斗は微笑んだ。
「ありがたいけど、遠慮しとくよ。仕事帰りに缶コーヒを呑みながら歩くのが趣味なんだ」
 その言葉に、僚は軽く溜め息をついた。
 この男にだって、自分と同じように闇の部分があるのだ。
 一人で居たい時もあるのだろう。
「せいぜい、帰り道は用心するんだな。お前は女に寝首をかかれるよりも闇討ちされるタイプだから」
「ご忠告どうも」
 和斗は苦笑すると、家に帰るために踵を返そうとした。
「待って、コーヒー代!!」
 思い出した様に、香が慌てて呼び止める。   
「別にいいよ。まだ半分も残ってるし」
 その言葉に、僚はギョッとした。
「ちょっと待て!その缶コーヒー俺が買い取る!!」
 僚の言葉を聞いた和斗の顔には、本日2度目の悪魔の笑みが浮かんだ。
「漱石1枚で手を打とう」
「だかが缶コーヒにそんなにだせるか!?」
「んじゃいいよ。俺これ飲むから」
 その言葉に、僚は悔しそうな顔をした。
 この表情から察するに、この男には自分がそう言い出した理由が分かるのだろう。
「たかだか缶コーヒーに、何をむきになってるのよ。そんなに飲みたいのなら、帰りに買えばいいじゃない」
 香は呆れた顔をして僚をたしなめた。
「嫌だ!俺は今飲みたいんだ!!」
 だだっ子のような僚の言い草に、香は呆れを通りこして呆然とした。
 だかが缶コーヒーである。それも良く見る銘柄の・・・
 何をそんなに執着しているのだろう。
 だが、僚にとってはされど缶コーヒーである。
 僚にとって重要なのは、香が口を付けた物であるということだ。
 香が口を付けた物を他の男が飲むのが気に入らないというより許せないのだ。
「でっかい硬貨1枚でどうだ?」
 その言葉を聞いた和斗は、手に持っていた缶コーヒーを僚の車の屋根に置いた。
「2枚で手を打とう」
 そう言って、おもむろに僚のサイフが入っている上着の内ポケットに手を伸ばした。
「それじゃぁ、さっきと同じだろうが!!」
 そう言いながら、伸びてきた手を文字通り素早く払いのけた。
 その反動を利用して、反対の手を電光石化のごとく和斗が僚のサイフ目掛けて伸ばす。
 しばらく目にも止まらぬ速さの攻防が続けられた。
 あまりの速さに、香もただ見ているだけしか出来ない。
「ま、漱石さん2枚で譲ってやろう」
 和斗は僚のサイフの中から2枚紙幣を抜き取った。
 世界広しといえど、天下のシティーハンターのサイフを掏れるのはこの男と香ぐらいだろう。 もっとも、香の場合は掏るというより脅し取るといったほうが適切だろうが・・・
「1枚じゃないのか!!」
 僚は投げ返されたサイフを受け取ると、和斗に抗議した。
「口止め料」
 しゃぁしゃぁという和斗の顔を見て、僚は車の屋根に突っ伏した。
 この場合、誰にと問うのは不毛であろう。
 僚は、内心最愛の鈍い恋人に溜め息をつくと、しっしというように和斗に向かって手を動かした。
「じゃぁな」
 和斗がそう言ってその場を去るのを見ていた香が急に和斗の元に走っていった。
 何事かと思い、僚はその方向をみた。
 香は和斗の腕のあたりを軽く引っ張って屈ませると、何か耳打ちしていた。
 距離があるせいで、声は聞き取れない。口元が見えないため、得意の読唇術も使えない。
 香は、嬉しそうな表情を浮べて話している。
(槙村と話していた時もこんな表情だったのだろうか・・・)
 僚はふとそう思った。
 今となっては、永遠の謎である。

「さっきの宝物の話し、もう一つ追加。兄貴の指輪の他にもあったから。和兄に教えておこうと思って」
 香ははにかむと、大切な言葉を言う様にそっと和斗に耳打ちした。
「僚と過ごす日々」
 その言葉を聞いた和斗の表情はとても優しかった。
 和斗は先程僚からせしめとった1枚を、香が着ているカーディガンのポケットに滑り込ませた。
 驚いて、香が和斗の顔を見る。
「よく出来たご褒美。どうするかは自分で決めなさい」
 その言葉に、香は嬉しそうな顔をして頷くと僚の所に戻っていった。
 そして、大声で和斗に向かって叫んだ。
「宿題!解けたら教えにいくから!!」
 和斗は分かったというように大きく頷いた。
 僚は香を車に乗るように促すと、自身も運転席に乗り込む。
 車を発進させる直前に、挨拶変わりに軽く手を挙げた。
 香の相手をしていた事に対しての、あの男なりの感謝のしるしなのだろう。
 和斗も軽く手を挙げてそれに答えた。

 車が見えなくなるまで見送った後、和斗は足を進めた。
 そして携帯電話を取り出すと、ひとつきりの失えない宝物に電話した。

                                              END

言い訳:僚て、香が口を付けた物を他人が共有するのを嫌がるんだろうか?
     という疑問から生まれた産物。でも、絶対回し飲みはさせなさそう・・・