7
「以外だったな・・・」
僚の呟きに和斗は不思議そうに聞き返した。
「何が?」
「彼女さ・・・寛弥ちゃん。大人しい感じに思ったんだが・・・」
僚は先ほどのコップ事件を思い出して言った。
「あぁ・・・」
和斗は苦笑すると言った。
「清楚で大人しくて・・・実は・・・か?」
その言葉に僚は肩を竦めた。
「お前さんの相棒といい勝負かもしれんな。まぁそこがいいんだがね」
そう言った和斗の表情は、愛おしさと優しさに満ちていた。
こんな顔をする男だったろうか・・・。
僚はふと昔を思い出した。
何時も厳しい表情で未熟な自分を怒鳴り散らしていた・・・瞳に無をたたえていた、自分とそう大差ないだろう年の男―――――
今も昔も・・・そしてこれからも裏の世界で畏怖と尊敬を浴びつづけるであろう目の前の人物は、既に自分が知っていた頃とはだいぶ変わっていた。
(嫌・・・俺が変わったのか?)
僚はその考えを即座に否定した。
(違う。俺も変わったんだ)
一度だけ、今と同じ表情を和斗が浮かべたことがあったことを思い出した。
戦場で、まだ見ぬ故郷の話を聞いた時だ。
あの頃は幼くて、何故彼がそんな表情を浮かべるのかが分からなかった。
自分よりも遥かに精神的に大人びていた彼への嫉妬もあって、その時は酷く罵ってしまった。軟弱だと・・・。
愛しい――――
慈しむ――――
そういった感情をしらなかった昔。
だが今なら理解できた。おそらく彼にとっての故郷が彼女だったのだ。
同じ物を手にした今だからこそ――――やっと同じ土俵に立てた。
対等とまではいかなくても、同じ目線で見れる。
『いい男になったな』
再開した海坊主の店でそうポツリと言った和斗の言葉が脳裏をかすめた。
僚にも聞き取れるかどうかという程の声。
ようやく認められたのだ。そんな気がした。
「それにしても、本気でメシ食ってなかったとはな・・・」
和斗の言葉に僚は我に帰った。
教授のご飯が終わるまでこうして和斗と2人、別室で待っているのである。
無論、香は教授に付き合ってキッチンである。
「待たせたの・・・」
教授が満足そうな顔をして二人が待つ部屋に入って来た。
「香は?」
僚の言葉に、教授はキッチンの方角を見た。
「後片付けをしとる」
「まさか、本気で食事を作らせるためだけに香を呼びつけたと知った時は空いた口が塞がりませんでしたよ」
「わしだって、たまには香君の手料理を食べたいさ。それとも、自分で独り占めしたいか?」
意地悪い笑みを浮かべた教授の顔を見て、僚は何ともいえない表情を浮かべて押し黙った。
僚をやりこめ、満足気に笑みを浮かべた教授は和斗の方を見た。
「そういえば・・・寛弥君、かなり様子が変わってたようだが・・・何かあったのかね?」
「そんなに動揺してましたか?」
「発作をおこさなければいいかと思ったんだがね」
教授の言葉に、和斗が一瞬痛ましい表情をした。
「ちょっと昔の事をつっつかれましてね」
「10年前の事かね?」
「いえ、違いますよ。でも、広人の事が話題に上りましたけどね」
「それだけで充分じゃろ。お前さん達には」
和斗は自虐めいた笑みを浮かべた。
未だに癒されることのない罪――――
この男が背負った業の重さに、教授は心を痛めた。
もっとも、それはもう一人の男にも言えることだが・・・。
「今のお前さんに出来る事は、とっとと帰って彼女の精神安定剤になってやることじゃよ」
教授の言葉に和斗は苦笑すると、一礼してその場を去っていった。
「何処か悪いんですか?彼女・・・」
僚の言葉に教授は微笑んだ。
「神経性の喘息を持っとってな。まぁ、最近は大分良くなったんじゃが」
そして、傍にあるソファーに腰をおろすとポツリと言った。
「10年前にな、亡くしたんじゃよ。和斗と寛弥君は。・・・親友と家族と仲間をな」
教授の言葉に僚はかすかに目を見開いた。
そして教授がその話をしたがっている事に感づいた僚は教授の向かいに腰を下ろした。
「あやつは親友をな・・・撃ちよった・・・」
教授の言葉に、僚は驚愕の表情を浮かべた。
「撃ったって・・・」
「わしも詳しいことはしらんがの・・・視界も全く利かない、土砂降りの雨の日じゃった。ある要人のガードをしとったんじゃ・・・そしてその要人を襲った犯人が・・・」
「まさか!?」
「そう、そのまさかじゃよ。和斗も驚いたじゃろ・・・犯人を撃ったら親友だったとは。覚えとらんか?結構、新聞やワイドショーなんかにも騒がれとったからな。現職刑事の要人暗殺としてな」
僚もようやくその事件を思い出した。
当時は結構スキャンダルになっていた。名前までは思い出せないが・・・。
「深沢広人・・・寛弥君の婚約者じゃよ」
教授が言った名前に、何故か僚には心当たりがあった。
だが、詳しくは思い出せなかった。
「寛弥君と彼女の親友がな・・・誘拐されたんじゃ。彼女達を助ける条件が・・・」
「暗殺ですか」
僚ははき捨てるように言った。
頭の悪い連中の考えそうな事だ。
帰りの車の中で、僚は教授との会話を思い出していた。
「・・・復讐かもしれん」
教授はポツリと呟いた。
その言葉に僚は不思議そうな顔をした。
自分にもあの男にも縁のない言葉だ。
決して私情で動くな。
それがこの世界の鉄則であり和斗の口癖だった。
「そういうタイプには・・・」
「・・・生きているのが不思議なくらいじゃた・・・寛弥君が助けられた時そう思ったよ。無理も無い。目の前で親友が無残な殺され方をして、自分も暴行を受けていたからの」
「・・・」
「お前さんならどうするね?香君が同じ目にあったら・・・」
「!?」
「同じ結論に達しないといえるかね?」
「それは・・・」
僚の戸惑いの表情を見て、教授は微笑んだ。
「少々いじめが過ぎたかの」
「僚?・・・僚ってば!!」
香の声に、僚はふと我にかえった。
「信号、変わってる」
香は前方を指差して言った。
「あぁ」
僚はアクセルを踏んで車を走らせた。
「何かあった?」
心配そうに自分を見つめる視線を感じていながらも、かといって香に話せる内容ではなく・・・僚はどうしたものかと考えていた。
「昔ね・・・」
ふいに香が思い出したように呟いた。
「思い出したの。一度だけ・・・兄貴があたしの誕生日に酔っ払たことがあるの」
「そんなの毎年じゃないのか?」
「そんなわけないでしょ!!あたし未成年だったのに!!」
香は怒って窓ガラスの方を向いてしまった。まるでちゃかすのなら話さないという様子だ。
「悪かったよ。で、何で槙村は酔っ払ってたんだ?」
「電話がね、あったの。あたしがお風呂から出た時に。・・・和斗さんからだった」
香はその当時を思い出しているのか、遠い目をしていた。
「様子が変だったの。顔が真っ青で・・・あんな兄貴の顔なんか見たことなかった・・・」
同僚が殉職したという連絡の時でもあんな様子は見たことなかった。
父が死んで兄妹2人になった時でさえ―――
「夜中にね、ふと目が覚めちゃって。何か飲もうと思ってキッチンに行ったら・・・兄貴がね、酔っ払ってたの。しかも『おおバカ野郎ども!』て愚痴りながら・・・何か見ちゃいけないものを見た気がして・・・」
香は僚の方に顔を向けると寂しそうに微笑んだ。
「兄貴ね、こうも言ってた。『もっと他に方法がなかったのか』って・・・今日和斗さんに再会したらね、思い出しちゃった。・・・あの時の電話の会話ってなんだったんだろうね・・・」
僚はその話を聞きながら、再度教授との会話を思い出していた。
「その日はな、寛弥君の誕生日じゃった・・・」
僚はやっと自分の中で鳴っていた警鐘の理由がわかった。
(コレハダレノハナシダ・・・?)
僚は息苦しさを感じていた。
麗香の資料によると、寛弥の誕生日は香と同じである。
自分達とあまりに似すぎている彼ら。
否、自分と同じ道を歩んできたもう一人の自分。
まるで己の過去を暴露されているようだ。
「寛弥さんが水を掛けた気持ちが分かる気がする」
香の呟きに僚はドキリとした。
香は寛弥が怒った気持ちが良く分かった。
たとえ僚がどんなに優しかろうが、人として優れていようがやはり第三者からみればただの人殺しなのだ。
もし同じ事を言われたら、自分はどうしただろうか?
彼女と同じように怒っただろうか・・・それとも何も言えないのだろうか・・・。
「自分の大切な人があんな言われ方をされたら、悲しいよね・・・」
「たった一人でも、理解してくれる人がいたらそれで十分さ」
僚は優しい表情でそう言った。
(僚、それって・・・)
香は驚いて僚を見た。
「・・・和斗ならそういうだろうな」
僚の言葉を聞いたとたん、今までのモヤモヤがすっと晴れていった。
まるで自分に言われているように感じたからだ。
「うん・・・そうだね」
香は嬉しそうに笑った。
一人でも理解してくれる人がいるのなら・・・
「何で今なんだろうな?」
和斗達が去った後、海坊主が今まで疑問に思っていたことを口にした。
「何が?」
美樹は不思議そうに夫を見た。
「何故今になって教授は和斗を僚と引き合わせたのかと思ってな」
「冴羽さん達の依頼内容と関係してたからじゃないの?」
美樹はもっともたる理由を答えた。
「それにしても、今でなくても・・・」
しきりに時期を気にする海坊主を美樹は分けがわからないといった様子で見ていた。
「たまたまじゃまいのか?」
ミックが気にしすぎだというような口調で言った。
「仲直りをさせたかったというなら、奴が・・・和斗が活動していた頃でもよかったはずだ」
「これを機に・・・てことかもしれないじゃない?」
「同じ情報屋を使っていてか?」
「!?」
海坊主の言葉に、ミックと美樹は驚いて目を見張った。
「僚が信頼している情報屋の何人かは、もともと奴の情報屋をしていたんだ」
第三者をかいさなくても、ちょっと情報を流せば直ぐに耳に入るはずだ。
海坊主は暗にそう言っていた。
「冴羽さんが意地はってただけじゃないの?」
美樹がそう言った時、ミックが納得したように呟いた。
「そうか・・・だから今なのか・・・」
「どういうことだ?」
海坊主が不思議そうに聞いた。
「お前も知ってるだろ?香の兄貴のことは」
「あぁ・・・」
男達の会話に美樹は不思議そうな顔をした。
「似てると思わないか?あの2人」
ミックの言葉に海坊主はハッとしてミックを見た。
「成る程・・・そういうことか・・・」
「そ、そういうこと。教授にとって大事なのはタイミングじゃなくて時期だったのさ」
「ちょっと!わかるように説明してよ!!」
美樹はたまりかねて男達に怒鳴った。
「ごめん、ごめん」
ミックは美樹に謝ると、ポツリと呟いた。
「まるで鏡を見てるみたいだな」
「鏡?・・・合わせ鏡ってこと?」
美樹の言葉をミックが否定した。
「いんや、違う。美樹ちゃんの考えも近いけど、この場合は文字通り1枚の鏡さ」
「?」
ミックの言葉を理解できない美樹に海坊主が代わって説明した。
「合わせ鏡は2枚あるから表と裏が分かるんだ」
「そうよ。だからそういう表現に用いられるんでしょ」
「ミックが言っているのは1枚の鏡だ。こいつにしてはシャレたつもりらしいがな。」
「“こいつにしては”はよけいだ!!」
ミックの抗議を海坊主は無視して続けた。
「美樹、1枚の鏡には何が映る?」
「1枚の鏡・・・」
美樹は自分が鏡の前に立っている所を想像した。
そしてハッと気づいて呆然と呟いた。
「・・・鏡に映るのは・・・自分自身・・・」
「そういうこと。それが答えだよな、かずえ!」
ミックは入り口に立っているかずえに向かって言った。
「確かにそれもあるけど、2人の仲直りをっていうのも本当よ」
かずえはそう言いながらカウンターに歩み寄ると、ミックの隣に腰を下ろした。
「人生相談所か?嫌、この場合は駆け込み寺か」
ミックの言葉に、全員の頭に?マークが飛び交った。
「ミック・・・何いってるの?」
かずえは訝しげにミックを見た。
「今あの2人が仲直りすれば、僚にとっては格好の悩み相談所ができるんだから」
「悩み相談所なら、あたし達だってしてるじゃない!!」
ミックの言葉に美樹が怒って言った。
「まぁ、そうなんだけどね・・・」
ミックはどうどうと手で美樹を制すると、寂しげに微笑んだ。
「僚と俺達とは根本的に違うから」
「どう違うの?ミック」
「ん〜何ていうか・・・恋愛相談だとか喧嘩の仲裁だとかは俺達でも出来るけど、僚の根本的な悩みには答えてやれないから・・・俺達と僚は違うから。最愛の者を傍に置いているという点では共通してるけど、俺は引退しちまったし美樹ちゃんは元傭兵。・・・でも、香は全くの素人だ」
ミックの言葉に海坊主達はハッとした。
言われてみればそうだ。
香の人柄か、今まで気にしたことはなかった。
だが、ミックは気づいていたのだろう。親友であるミックにすら打ち明けることの出来ない悩みを僚が抱え込んでいる事を。そして、それが香と関係を持つようになってからより一層深くなっていった事に―――――
そして、おそらく教授も気づいていたに違いない。
だからあの2人を引き合わせたのだ。
同じ悩みを持ちながら、先に答えを出した人物に・・・。