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午後8時――――
美樹は閉店後の店の後片付けに追われていた。
例の男と連絡が取れたので、店を使わせて欲しいと僚から連絡が来たのは
昼過ぎの事だった。
不意に店のドアが開いた。
ベルの音と同時に一人の男が顔を出した。
「すいません、もう閉店なんですけど・・・」
美樹は店の看板がまだ片付けられていないのを思い出して声をかけた。
男は驚いて一瞬目を見張ったが、すぐに微笑んだ。
美樹は男の吸い込まれるような笑顔に、思わず見とれてしまった。
まるで誰かを思い起こさせるような笑顔――――
「ここで人と待ち合わせてるんですが・・・」
男の言葉に、今度は美樹が目を見張る番だった。
「かまわん、美樹。俺の客だ」
いつのまにか奥に引っ込んでいた海坊主が出てきて美樹に言った。
「いつものアイリッシュ・ウイスキーでいいのか?和斗」
「ああ」
そう言って、和斗はスツールに腰掛けた。
「嬉しいね。まだ俺の好みを覚えてくれてるとは」
和斗は海坊主が持っている銘柄を見て嬉しそうに言った。
「僚ならまだ来てないぞ」
海坊主の言葉に、美樹はようやく目の前の男が件の男である事がわかった。
「あれのルーズさは今に始まったことじゃないさ」
そう呟く目の前の男からは、裏の匂いというものが全く感じられない。
均整のとれた見事な体躯。身長も僚と同じ位だろう。
なにより、この男の顔である。俳優ばりの整った顔立ち。
近寄り難い印象を与えるその顔も、フレームの無いメガネが見事に温和な
表情に一役買っていた。
本当にこの男は殺しを生業にしているのだろうか?
美樹は疑問に思わずにはいられなかった。
だが、この男が夫の事をしっており、夫もまたこの男の事を知っている。
その事がまぎれも無く、男が裏の世界に身を置いている証拠だった。
「そんなに凄いんですか?冴羽さんって」
「凄いなんてものじゃないな、あれは」
和斗は海坊主が出したグラスを口に運んだ。
「周りが何であいつと組みたがらないか知ってる?1時間はかるく待たされ
るからだよ?」
おいしそうに一口飲んだ後、和斗はニヤリと笑って言った。
その冗談か本気か分からない理由に、美樹は怪訝な顔をした。
「そうなの?ファルコン」
美樹は夫の方に顔を向けて聞いた。
「2時間が最高だな」
「あぁ。マジにあの時はキレそうになったな」
「・・・マジにキレてなかったか?お前」
「そうだっけ?」
海坊主の言葉に、和斗は昔を思い起こして見る。
「確か・・・お前、あの時キレてあいつ一人を敵が罠をしかけてる林に放りこまな
かったか?」
「・・・あぁ・・・違う違う。あれは全く別件だ。あいつが人の食事にまで手を出
したからだ」
和斗の言葉に、美樹と海坊主は思わずズッコケた。
たかがそんな理由でそこまでするこの男の神経が信じられない。
古来より食べ物の恨みは怖いというが・・・。
外見と中身がそぐわないと思いながら、美樹は和斗を見た。
ミックといい僚といい・・・。
(あたしの周りの人って何でこんな人達ばかりなんだろう・・・)
「しかし、よっぽど怖かったんだろな僚の奴。それ以来1時間以内には必ず来るよ
うになったんだから」
海坊主が苦笑する。
「そりゃぁ怖かっただろうよ。何の情報も与えずに、何百人っていう敵が待ってい
る所に放り込んだんだから」
「ありゃ怖いっていうレベルじゃないぞ!マジで死ぬかと思ったんだからな!!」
入り口の扉が開いて、僚が怒鳴りながら入ってきた。
「お前が人のメシを食うから悪いんだ」
その声に反応して、和斗は静かに言った。
穏やかな微笑みが顔に浮かんでいる。
「食っていいって言ったのはあんただろ!」
「パンは食っていいって言ったがな。おかずまで食えとは言ってない」
美樹は目の前で繰り広げられている低次元な会話に目眩がした。
ファルコン達が兄弟と呼んでいたのも分かる気がする。
目の前の光景は、まるで幼い子供の兄弟喧嘩の様である。
口では適わないと知りながら、口達者な兄に喧嘩を売っている弟。
まるでそんな感じである。
(冴羽さんでも、こんな態度を取るんだ・・・)
美樹は目の前の僚の態度を見てそう思った。
たわいもない口喧嘩はさして珍しくはない。
いつもミックやファルコンとやりあっている光景だ。
だが、いつもと違うと感じるのは、僚の口調にどことなく甘えを感じるからである。
「ちょっと僚!何時までそこに突っ立ってるのよ。あたしが中に入れないでしょ!!」
僚の背後から聞こえてきた香の声に、和斗は驚いて振り返った。
「香・・・か?」
和斗は驚愕に見開かれた目を、僚の後ろにいる香に向けた。
和斗の呟きに驚いて、僚も香を見た。
香の顔もまた和斗と同じ様に驚いていた。
「うそ・・・和・・・兄?」
香の言葉に、僚は内心同様した。
(何で香がこの男を知ってるんだ?)
疑念と嫉妬。
そんなごちゃまぜの感情が溢れ出す。
「知り合いなの?香さん」
美樹が興味津々と言った様子で尋ねた。
(ひょっとして、冴羽さんのライバル出現!?)
美樹は内心ワクワクしていた。
今まで香を好きになった男性は何人かいた。
だが、僚が本気で張り合おうとした人物はいなかった。
あのミックでさえ僚を本気にさせることは出来なかったのだから。
「兄貴の知り合い。よく遊んでもらってたの、小さい頃から。でも、兄貴が刑事やめて
から、すっかり疎遠になっちゃって・・・」
「・・・槙村の後を継いだか・・・」
聞き取れるかどうかという小さい声で和斗はつぶやいた。
僚は和斗の口の動きを見逃さなかった。
(一体、どういう関係なんだ?槙村と・・・あいつはそんなこと一言も・・・)
「いつまでそこにつったってるんだ?僚」
海坊主の問いかけに、僚は慌ててスツールに腰掛けた。
いつのまにか自分だけが取り残されていたようだ。
「・・・で、話っていうのは何だ」
僚をちらりと見て、和斗が聞いた。
「麻生寛弥」
その名を聞いて、和斗は目を細めた。
瞬間、和斗の雰囲気がガラリと変わる。
今までの穏やかな気が一瞬にして研ぎ澄まされた。
「何でお前がその名を知ってる?」
声のトーンも低くなる。
おそらく、これが本来の声なのだろう。
プライベートと仕事を区別している所は僚と同じである。
「依頼人が彼女に会いたがってるの」
香の言葉に、和斗は怪訝な顔をした。
「だったら直接彼女を捜せばいいだろう?」
「和兄に聞いた方が早いって依頼人が言うのよ」
「誰なんだ?その依頼人って」
和斗の言葉に香が言いよどむ。
その様子を見て、和斗はすまなさそうに言った。
「あぁ、そうだな。ルール違反だな。じゃぁ、せめて性別くらいならいいだろ?」
香は困ったように僚を見た。
自分が判断できることではない。
「女だ」
僚が答えた。
「仁科朱美か・・・」
和斗の言葉に、僚と香は驚いた。
「なるほど。ついに痺れを切らしてお前達を雇ったか」
「知ってるのか?」
「何度か会わせろって来たな」
「何で会わせなかったの?」
「本人に会う意思がないのに、会わせられん。といって同じ様に断ればお前達の顔
が立たんしな・・・」
(どうしたものかな・・・)
和斗はしばらく考えた。
「よし、一度だけチャンスをやる。彼女の居場所を見つけられたら会わせてやるよ」
「冗談だろ?あんたが本気で妨害したら、捜しだせるわけがない」
「人の話を良く聞け、僚。チャンスをやると言ったんだ。下手な小細工はしない」
そう言うと、和斗は立ち上がった。
「信じていいんだな」
後姿に僚が声をかけた。
「ま、せいぜいどれ位かかるか見せてもらうよ」
そう言うと、和斗は店を後にした。
「信じるのか?僚」
海坊主の問いに、僚は苦笑した。
「それだけは信用できる男だ。あいつがやらんと言ったら、やらんよ」
「ねぇ、ファルコン。保科さんってそんなに凄いの?」
僚達も帰って、二人っきりになると、美樹はかねてから疑問に思っていた事を
口にした。
第三者的立場から見て、美樹には海坊主や僚がどこか遠慮してるように見えた
のだ。
僚の態度には思い当たる理由があるのでさして気にしないが、なにも関係が無
い海坊主までもというのが不思議でならなかった。
「お前も聞いたことがあるだろう?裏の世界で神と崇められている男の噂は」
美樹は驚いて目を見張った。
「・・・まさか・・・!?」
「あいつが・・・保科がその人物だ。この世界では<死神>と呼ばれている。そ
して、僚にここでの戦い方を教え今の地位にまで上り詰める礎を築いた人物でも
ある」
「どういうこと?」
「思い出してみろ。戦場からアメリカそして日本。住んでいた世界は違っても、
僚と同じ道をだどったお前なら分かるはずだ。初めて日本に降り立った時のギャ
ップを。同じ都会でも、アメリカと日本では180度違うということにな」
美樹は海坊主の言葉にハッとした。
確かに、慣れるまでは大変だった。あまりのギャップの差にくじけそうになっ
たこともある。それでもどうにか過ごせたのは、ファルコンを見つけるという強
い意思があったからだ。
美樹とは別に、海坊主もまた教授が今になって二人を会わせようとした真意を図
りかねていた。
まだ一波乱ありそうな気配に、海坊主は内心大きな溜め息をついた。