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「おい、僚・・・確か見城を殺した奴って・・・」
 海坊主は訝しげに言った。
「僚、知ってるの?その見城っていう人・・・」
 香は自分のコーヒーを持って僚の隣に腰をおろした。
「金貸しさ」
 僚はそっけなく言うと、新しく入れなおされたコーヒーに口を付けた。
「それも、かなりの悪徳だ」
 僚の後を海坊主が引き継ぐ。
「悪徳?あれは人間じゃないぜ」
 僚は嫌そうにつぶやいた。
「あの男はな、返済期限を過ぎても返せない奴には金の他に・・・」
 僚はふと黙り込んだ。そして、ある考えに思い至る。
「金の他に何よ」
 香はそんな僚を不信に思いながらも、たずねた。
「娘だよ」
 僚ははき捨てるようにいった。
「娘?」
「ああ。売り飛ばすのさ。年齢にあった組織にな」
「殺されて当然の男ね!」
 美樹が怒りをあらわに言った。
 香も気分が悪かった。
 そういう趣味の人間がいることは知っていた。
 だが、どこか遠い世界の話のように思っていたのだ。
「ひょっとして、その寛弥さんって・・・」
 香は心なしか青ざめた表情でつぶやいた。
「おそらくな」
 僚は香の考えが正しいことを教えた。
「その寛弥さんって人、かわいそう・・・」
 香のつぶやきに、美樹たちは優しい微笑みを浮かべた。
 うわべだけの同情でいった言葉ではない。
 本当に心の底からそう言っているのがわかっているからだ。
 それが香のよさであり、美樹や海坊主が彼女を気に入っている理由である。
 そして、僚が一番大切に守っているもの――――
「で、その見城を殺した男ってだれなの?」
 美樹は自分の夫である海坊主に聞いた。
「兄貴さ。僚のな」
 海坊主の言葉に、美樹と香は驚愕に目を大きく見開いた。
 それもそのはずである。僚は自分の生い立ちを知らないのだ。
 それなのに・・・。
 そんな二人の様子を見て、海坊主は言った。
「誤解するな。兄貴といっても、血はつながっちゃいない。俺達がかってに
そう呼んでいただけさ」
「俺達?」
 美樹は不思議そうな顔をした。
「俺の部隊の仲間だ」
「じゃぁ、その人って・・・」
「俺と同じゲリラ兵さ・・・嫌、同じじゃぁないな。あいつは金で雇われて
俺達のところに来たんだから」
 香は僚の言葉にどこか刺々しさを感じて、まじまじと僚の顔を見た。
 海坊主の言葉からして、僚とその人物がかなり仲が良かったことが伺える。
 でなければ、そんな呼び方はしなかっただろう。
 ところが、僚のしゃべり方――――
 嫌悪感とも違う。かといって憎んでいるという口調でもない。
(何だろう・・・?)
 香はその口調に思い至るのだが、中々思い出せなかった。
「教授なら知ってるんじゃないのか?」 
「わしがどうかしたかの」
 海坊主が口を開いたのと同時にしわがれた声が扉からした。
 全員が一斉に扉を見る。
「教授!?」
 香が驚いて、慌てて教授の傍に行った。
 そして、自分たちに近いテーブルに教授を案内する。
「ああ、美樹さん。すぐに迎えがくるから、かまわんでいいよ」
 教授はカウンターの中の美樹に声をかけると、視線を僚に移した。
「わしに用かの?僚」
「教授こそどうしてここに?」
 僚は不思議そうに聞いた。
 それもそのはずである。めったに外には出歩かない人だからだ。
「なぁに、ちょっと人と会う約束でな。待ち合わせ場所に丁度いいものだ
から使わせてもらったんじゃよ」
 香が戻ってくるのを待って、僚が教授に尋ねた。
「和斗と連絡が取れませんか?」
 僚の言葉に、教授の目がかすかに見開いた。
 が、すぐにその目は優しい光をおびた。
「仲直りでもするのか?」
「違いますよ」
「なんじゃ、わしはてっきり・・・」
「依頼なんです。教授」
 香は教授の落胆ぶりに慌てて僚の言葉をフォローした。
「依頼?」
「ええ、そうなんです。でも、教授・・・仲直りって・・・」
 香は遠慮うがちに教授に聞いた。
 今までの話から察するに、僚のお兄さんと呼ばれていた人物と保科和斗
という人物は同一人物らしい。
「こやつらはな、10年前にハデな兄弟げんかを繰り広げたんじゃ。組織
一つをまきぞいにしてな」
「・・・・・・」
(組織をまきぞいって・・・ハデの一言ですまされるスケールじゃまいよう
な・・・)
 香は教授の感覚に頭痛がした。
「あれは兄弟げんかなんて呼べる物じゃないですよ」
 僚のつぶやきに、香は先ほどの僚の口調の感じに思いいたった。
 あの口調は昔のあたしだ。
 兄貴が刑事を辞めて僚の仕事を手伝ってると知った時に兄貴を責めた口調。
 信じてた人間に裏切られたと感じた―――――
「わしに言わせりゃ兄弟げんかじゃよ、あれは」
 僚の顔を見て、教授は溜め息をついた。
 その顔にはありありと仲直りなんて冗談じゃないという文字が浮かんでいた。
「まぁ、よい。とりあえずこの場所を指定して連絡を取ってみるが・・・会える
かどうかは保証せんぞ」
 教授の言葉に僚は不思議そうな顔をした。
「・・・・引退するつもりかもしれん・・・」
 教授はどこかさびしげにポツリと呟いた。
 
「すみません、教授。おまたせしてしまって」
 そう言って、一人の女性が扉を開けた。
「なんじゃ、お前さんが来たのか?亭主はどうした?」
教授は立ち上がると、入り口に向かって歩きながら女性に聞いた。
「家の人はだめですよ、今日は。Jリーグの中継がありますから」
 教授の質問に、女性は苦笑して答えた。
「まぁ、わしとしてはうれしいがね。・・・僚、また連絡する」
 そう言うと、教授は女性を伴って外に出て行った。


「・・・教授ってば、よっぽどあんたに彼女を紹介したくなかったのね・・・」
「あぁ?」 
 教授が去った後の香の呟きに、僚はけげんな顔をした。
「・・・そういわれて見れば、あの教授のすばやい去り方・・・」
 美樹も香の考えに同意する。
 それもそのはずである。
 かなりの美人なのだ。それも完璧な僚好みの・・・・。
「なんなのかしら?」
 首をかしげながら、香はすっかり冷めきったコーヒーを口に運んだ。



「今日はまたどうしたんです、教授?」
 男は目の前に座っている老人に向かって尋ねた。
「なんじゃ、わしが来ちゃいかんのか?お前さんは老い先短い老人に、
何時からそんな意地悪をするようになったんじゃ・・・」
「別に来ては行けないとは言っていませんよ」
 男は苦笑すると、腰を浮かして教授に近寄った。
「家内の下着を盗まなければ、の話ですがね」
 男が教授の胸ポケットに手を突っ込むと、ひも状に連なった女性の下着が
出るわ出るわ・・・・。
「教授〜!!」
 怒りを含んだ背後からの女性の声に、教授の体が固まった。
「これは返していただきます!!」
 女性はすばやく下着を引っつかむと教授をギロリと睨んだ。
「そうそう、この紅茶。おいしかった。もう一杯もらいたいんじゃが・・・」
 教授はひきつった笑いを浮かべながら、ティーカップを差し出した。
 女性はじぶじぶ受け取ると、部屋を出て行こうとした。
 男は立ち上がると、女性の耳に囁いた。
 その耳打ちに軽く頷くと、女性は部屋をでていった。

「しばらく近寄るなと。そう言いました」
 男は教授に向かってそう言うと、腰を下ろした。
「すまんな、和斗」
 教授は男に申し訳なさそうに言った。
「今に始まった事じゃないでしょう?」
 そう言った男―――和斗の表情は先ほどとは打って変わって、怖いくらい
真剣である。
「誤解の無いように言っておくが・・・今日は本当にあの娘の様子を見に来た
んじゃよ。むしろこっちの話の方がついでなんじゃ」
「それは十分承知してます。で、話っていうのは?」
「回りくどいことは苦手でな。だから、単刀直入に言う。僚がお前さんに会いた
がっとる。会ってやってはくれまいか」
 和斗は驚いて目をみはった。
 僚の名前が出た事よりも、教授の言葉だ。 
 もう数十年の付き合いだが、教授が自分に向かってこういった言葉を使ったのは
初めてだからだ。
 和斗は考えこむように目を閉じた。
 教授はそんな和斗の様子を黙って見ている。
 もし、本当にこの男が引退を考えているのなら、これ以上に残酷な頼みはない。
 引退しようとしている人間が現役と会う危険。 
 教授にも充分分かっている。それでも、この二人を何とか仲直りさせたかった。
 昔のように――――
「お前さんが決める事じゃから、日時は指定せなんだが・・・」
「場所は?」
 和斗は目を開くと、教授に尋ねた。
「喫茶・キャッツアイ。海坊主の店じゃ」
「ファルコンの・・・」
「わしに気兼ねするなよ」
「分かってますよ」
 和斗は教授の目を見、意を決して口を開いた。
「僚に伝えてもらえませんか。明日、午後8時にと」
 そう言った和斗の顔は、これから起こるであろう可能性の全てを受け入れる覚悟が
表れていた。