12
「なぁ、お前は一体どうしたかったんだ?」
眠る香の顔を見ながら、僚はポツリと呟いた。
眠っている香の表情はとても穏やかで、このまま目覚めないのではないかと不安になる。
昔の自分からは想像も出来ない思考に、僚は苦笑した。
「ほんと、お前は凄いよ。俺をここまで振り回せるんだから」
香のいない生活は想像以上に堪えていて、このままでは自分がどうにかなりそうだった。
「答えはでたのか?」
僚の後ろに佇んでいた和斗がそっと尋ねた。
深夜の急な呼び出しにもかかわらず、文句も言わずに付き合っているのは、僚の様子が気になったからだった。
香が自らの意思で記憶を封印したと知ってからの僚の傷心は凄く、このまま香諸共と考えるものも少なくはなかったのだ。
「何でお前なんだろうな?」
「?」
僚の問いかけに、和斗は不思議そうな表情を浮かべた。
「何で俺じゃなくて、お前だったんだよ!!」
僚は勢いよく椅子から立ち上がると、和斗の胸倉を掴んだ。
ただ申し訳ないように、寂しげな微笑みを浮かべる和斗にそれ以上何も言えず、僚はただ縋り付くしかなかった。
香が倒れて以来、初めて見せる僚の脆さだった。
そのまま自分の足元に崩れ落ちる僚の姿を、黙って和斗は見ていた。
「お前達はお互いに気を回し過ぎるんだ」
ややあって、ポツリと呟いた和斗の言葉に、僚が顔を上げた。
「もっと貪欲になっていいんだよ。生きるために」
驚くほど優しい声だった。
何時も自分は、怒鳴り叱られてばかりいた。
そんな記憶しかない男だった。
果たして本当にそうだったのだろうか?
人が都合の悪い事を忘れて生きるように、自分もまた忘れてしまっていたのではないだろうか?この男の本来の姿を・・・
「お前の言う事は何時も正しいよ。時として腹ただしいほどにさ」
悔しそうな口調に、和斗は淡々と話す。
「それだけ、お前よりも先に厳しい現実を歩いてきただけだよ」
口調こそ軽めだが、言葉の重みはずしりとくる。
なまじこの男と付き合いが長いぶん、複雑だった。
笑い飛ばせない沢山の過去が、自分同様・・・いやそれ以上にこの男にもあるのだ。
「僚、幸せになってもいいんだぞ」
「・・・」
「人は皆、平等に幸せになる権利がある」
「しかし・・・」
「自分の手が穢れてると思うのなら、その手でもって人一人幸せにしてみろ。そしたら、何かしらの答えが出るかもしれんぞ」
「・・・お前、結論は俺に任せるとか言ったよな」
「言ったな」
「なら、何で生ませる方向に話を持っていこうとするんだ?」
「それは香が可愛いから」
即答する和斗に、僚がため息を吐いた。
「お前、ガキ引き取ってから妙に言動が槇村に似てきたよな・・・」
とたんに嫌そうな顔を浮かべた和斗を、僚が不思議そうに見た。
「この間から、お前槇村に似てきたって言うと嫌そうな顔するよな・・・」
「いや、俺も遂にああも所帯じみてきたのかと思うとな・・・」
その言葉に、僚は在りし日の槇村を思い出す。
「・・・俺が悪かった」
嫌そうな顔を浮かべる僚を見て、和斗は苦笑を浮かべた。
たとえ自分がそうなっていたとしても、リアルには想像したくはない。
2人共通の意見だった。
「一つだけ教えてくれ」
真剣な僚の表情に、和斗の顔も引き締まる。
「慧はお前の子なのか?」
思いもかけない質問に、和斗の表情が強張った。
その表情が、何よりも真実を語っていると分かってもなお、僚は和斗の口からはっきりと聞きたかった。
「なぜ・・・そう思った?」
「庭先で香と一緒にいる慧を見ていたお前の眼差しがな」
その言葉に観念したのか、和斗が真実を話し出した。
「あぁ。慧は俺達の2人目の子だよ」
「2人目?」
「最初の子は、この世に産まれてくることは適わなかったからな」
まさか答えてくれるとは思っていなかった僚は、思いもよらない和斗の言葉に、驚いて目を見開いた。
「ちょっと待ってくれ!だって彼女は!!」
「何も問題はない。いたって健康体だよ」
「・・・頭が混乱してきた・・・」
困惑しきった僚の様子を暫し見ていた和斗は、軽いため息を吐くと話し出した。
「これから話す事はお前の中で留めておいてくれ。誰にも知られたくない。・・・例え香でもね」
和斗の言葉に、僚が頷く。
「例の事件の時、あいつは妊娠してたのさ。その時の酷い扱いが原因で流産してね。一時的に錯乱状態になって、自分は子供を持てないと思い込んでしまったんだよ。おそらくは、失った子への罪悪感からだと思う。けど、時がたつにつれ徐々にそれが自分の思い込みだと気づき始めてね、待っていたのは辛い現実だった。色々、思い悩んだと思う。けど、あいつは一人でそれに耐え抜いて、結果子供を持たない事を選択したのさ。俺達の生活の為にね」
和斗の話を聞きながら、僚はあの時教授に言われた事を思い出していた。
もし、香が同じ目にあったらどうするか?
その時は答えることができなかったが、今の自分ならこの男と同じ行動をとるだろう。
そして、ようやく和斗がなぜあの事件の犯人を執拗に追っていたのか謎が解けた。
犠牲になったのは、彼女一人ではなかったのだ。
「だったら彼女、慧を妊娠した時相当悩んだんじゃないか?」
僚の言葉に、和斗はバツが悪い表情を浮かべ視線をあらぬ方向にむける。
「それが、あの時の離婚騒動だ」
その言葉に、僚は口をあんぐりとあけた。
「じゃぁ、何か!人を散々巻き込んだあの離婚騒動の原因は妊娠だったのか!?」
「あぁ、そうだよ。あいつは一人で慧を産んで弟夫婦の所に養子にだして、何食わぬ顔を装って俺の所に戻ってきた。あいつにとっては、一世一代の大舞台だったんだろう。だから俺も、彼女の芝居に乗ることにしたのさ」
悔しそうな和斗の口調に、彼の心情を慮った僚が声のトーンを元に戻した。
「慧の事は何時知ったんだ?」
「名付け親になってくれと、弟に呼ばれた時にね。自分の血を分けた子だ。抱いた瞬間に直ぐに分かったよ。この子は俺の子だってね。出来のいい弟のおかげで、俺は親としての最低限の事は出来たわけだ」
「彼女はお前が知ってる事を知ってるのか?」
僚の言葉に、和斗は首を横に振った。
「一生黙ってるつもりか?」
「わからん。このままでもと思う反面、何時かは言わなければとも思うしね。そんな時に、香から依頼があってね・・・賭けてみようと思ったんだよ。俺達の未来をおまえ達にね」
「勝手に俺達の人生を賭けの対象にするな」
「俺の答えは出たよ。お前はどうするんだ?」
「俺は・・・」
言いよどむ僚に、和斗が静かに語りかけた。
「俺はな、寛弥の選択は正しかったと思う。少なくとも俺達にとってはね。俺に子供は持てない。その気持ちを一番理解してくれていたのは彼女だったからね」
「けど、彼女は産んだんだろ?」
その言葉に、和斗が嬉しそうに微笑んだ。
その表情が印象的で、僚は不覚にも見惚れてしまった。
「慧を抱いたときにさ、泣いたんだよ。俺」
「お前が!?」
「そ。嬉しくてね。でも、同時に悟ったんだよ。俺の元を離れた方が幸せになれるって」
「後悔してないのか?」
「あの時はあれが最良の選択だった。ただ一つ悔やむとすれば、大事な選択を彼女一人にさせてしまったことだ」
だからお前にはそうなってもらいたくなかったんだ。
そう言われているような気がした。
「俺は・・・やっぱ、香がいないと駄目らしい」
迷いを吹っ切った晴れやかな表情だった。
「これからが大変だぞ」
「何とかなるだろ?お前もいるし、タコ坊主達もいるしな。使える者は誰であろうと使うさ」
この男にしては、めずらしく前向きな考えだった。
「・・・それでいいだろ?香」
僚は立ち上がって香の顔を見た。
その表情はとても穏やかで、優しい眼差しだった。
「俺も腹決めたから、お前も腹括れ。生きてこうぜ、俺とお前と子供の3人でさ」
その言葉に、和斗が満足げに微笑んだ。
「おめでとう、僚。パスワード解除だ。朝目が覚めたときには、何時もの香に戻ってるよ」
いまいち状況を理解できずにいる僚の肩を、和斗が軽く叩く。
「これで、やっと安眠できる。明日は来ないからな。ゆっくり休ませてもらうよ」
大きなあくびをしながら、和斗はその場を離れてドアに手をかけた。
「あ、そうだ」
何かを思い出したのか、和斗は振り返ると僚に言った。
「鏡があったら、ぜったいお前に自分の顔を見せたのにな」
からかわれていると思った僚は、露骨に嫌な顔をした。
「お前、いい顔してるよ。今」
和斗はそれだけ言うと、片手を挙げて出て行った。
思いもかけない言葉をいい逃げされた僚は、ただ笑うしかなかった。
久し振りに訪れた、穏やかな時だった。