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香の診察が終わって与えられた部屋に戻ると、ミック達が怖い顔をして待っていた。
「どうした?」
ドアに手をかけながら不思議そうな顔で問いかける和斗に、ミックが代表して答える。
「ちょっと、話がある」
怒気の篭った口調と気配に、和斗が背をドアに預けた体制で首を傾げる。
「・・・お前が香の記憶を消したんだろ?」
「新手のジョークか?」
笑い飛ばそうとした和斗に、麗香が怒鳴った。
「いい加減に認めたらどうなの!?」
「認めるもなにも・・・香を襲った犯人なら死んだじゃないか」
「あなたが殺したんじゃないの?」
美樹の言葉に、和斗は目を細めた。
「だって、あの男はあなたに催眠術を教えた人でしょ?あの男の仕業に見せかけることなんて、簡単じゃないの?」
「そこまで言うからには、証拠があるんだろうな」
怒りの篭った口調に、ミックが答える。
「香が倒れて運び込まれる直前に、お前が香と会っていたのを見た奴がいる」
その言葉に、和斗はため息を吐いて顔を下に向けた。
「なんだ、意外に早くバレたんだな」
顔を上げたとたんに発せられた和斗の信じられない言葉に、一同息を呑んだ。
暖かさなど微塵も感じさせない冷たい目に、まるで別人と話している様な錯覚を起こす。
ひょっとしたら、これが本来のこの男の顔なのかもしれない。
「・・・どうしてこんなことを?」
美樹の静かな、だが怒りのこもった口調に和斗が微笑んだ。
「最近、刺激がなかったから・・・」
最後まで言う前に、美樹の拳が和斗の頬に向かった。
寸前で和斗はそれを受け止める。
「いきなりそれはないんじゃない?」
その言葉に、美樹は止められた手と反対の手で思いっきり和斗の頬を叩いた。
「今すぐ、香さんの記憶を戻して」
「無理だな」
即答する和斗を、周りが睨む。
「俺も知らんのよ。解き方」
「!?」
「ま、僚ならまだしも、お前さん達に話す事は何もないんでね。どうぞお引取りください」
和斗は全く悪びれる様子もなくそう言うと、教授が用意した部屋に姿を消した。
もちろん、中からしっかりと鍵をかけた。
「派手なパフォーマンスだったわね」
外の気配が消えると、部屋の中で待っていた寛弥が冷蔵庫から取り出したアイスノンを和斗に手渡した。
不思議そうに手渡された物体を眺める和斗に、微笑みかける。
「顔、冷やしといてね。子供の教育上よくないから」
その言葉に納得した表情を浮かべた和斗は、ぶたれた頬に当てる。
「それよりよかったの?慧、ここに置いていって」
ソファーで気持ちよさそうに寝ている息子を見ながら、和斗に聞いた。
「せっかく寝てるんだ。起こすのもかわいそうだろ。俺が帰る時に一緒に連れて帰るよ」
「あら、今日は帰ってくるの?」
心底不思議そうに聞く寛弥に、和斗は引きつった笑みを浮かべた。
「俺に帰ってくるなってこと?」
「ばかねぇ。そんなわけないじゃない。ただ、ここ最近はずっと香さんに付きっ切りだったから不思議に思っただけよ」
「妬いてる?」
「まさか!だって、香さんにとってあなたは恋愛対象外の人よ。妬くわけないじゃない。ただ、そろそろ帰ってこないと信<シン>が父親の存在を忘れるんじゃないかと思って」
もう一人の息子の名前に、和斗の眉間にシワが寄る。
「だから、帰るんじゃないか」
「そ。じゃぁ、今日は腕によりをかけようかしら」
「あんま無理するなよ。まだ体調も万全じゃないんだから」
和斗の自分を心配する言葉に、寛弥が微笑む。
「ありがとう」
そう言って部屋を出て行こうとしたが、ふと何かを思い出したのか振り返った。
「あたしは今回どっちにも付かないわよ。・・・それでいいんでしょ?」
「あぁ」
その返事を聞いて、寛弥は一瞬だけ悲しい表情を浮かべたが、和斗が気づく前に微笑んで隠した。
「じゃぁね」
寛弥はそう言って和斗のぶたれた頬に軽い口付けを落とすと部屋を後にした。
寛弥が出て行った後、ソファーで寝ている息子の隣に腰を下ろした和斗は、香との会話を思い出していた。
「ぐわぁ・・・!」
短い悲鳴に近いうめき声に、香が反応した。
「何かしら?」
香はそう呟くと、声がした路地裏へ足を踏み入れた。
「誰かいるの?」
香の声に、暗闇に浮かぶ人物の体が反応した。
男の足元には、別の男がお腹を押さえて苦しげに蹲っていた。
ひょっとしたら、内臓破裂を起こしているのかもしれない。
蹲っている男の口元には血の塊が広がっていた。
助けたい一心で、香は一歩踏み出した。
が、蹲っている男の腹に足を置いてこちらの様子を伺っているもう一人の男の顔が、自分のよく知っている人物だということに気がつき、驚きの表情を浮かべて立ち止まった。
「ここで何をしてる?この辺りには近付くなと言われなかったのか?」
今まで聞いたことがな男のドスの利いた声音に香の体がビクついた。
男は香の視線から蹲っている男の顔を隠すと、苛立った口調で言った。
「ここから少し離れた路地に、車が止めてある。そこで待ってろ」
そう言って、香の方に車のキーを投げた。
有無を言わせぬ口調で言われた香は、震える手でそれを受け取ると急いでその場を立ち去った。
「お前もついてないな。あいつに見つからなければ、もう少しは生きながらえたのに・・・」
そう言って自分を見つめる男の表情に、真っ青になりながら蹲っていた男は必死で逃げようとする。
だが、腹が痛むのかすぐに捕まってしまった。
「ま、俺の身内に手を出した自分の愚かさを呪うんだな」
男はそう言うと、つま先で思いっきり男の体を蹴って仰向けにさせた。
踏まれると思って顔を覆った男の首めがけて、勢いよく足を下ろした。
目を見開いたまま息絶えている男を一瞥した男は、何食わぬ顔でその場を後にした。
ドアの開く音がして、助手席に座っていた香は、ビックとして開いたドアの方を見た。
「悪い、待たせたな」
そう言って運転席に座った男は、もう自分がよく知っている男の顔だった。
「ごめんなさい。和兄の仕事の邪魔して・・・」
素直過ぎる香の謝罪に、和斗が苦笑した。
「ほんと、あせったよ。香とあんな所で会うなんて。お前が俺と鉢合わせて変な事に巻き込まれたら、後で僚に何を言われるやら・・・」
「ちょっと、ミックと呑みに行った僚を探しに行ったら声が聞こえたから気になって・・・」
「だからって、こんな時間にあんな場所に居るな!」
和斗に怒鳴られて、香は体を縮ませた。
自分の事を心底心配しているからこその言葉に、香は何も言えなかった。
俯き、何か思い悩んでいる香の姿に、和斗は心配になって声をかけた。
「なんかあったのか?」
その言葉に、香はため息を吐いた。
「運命なのかな・・・こんな時に僚より先に和兄に会うなんて・・・」
香の言葉に、和斗は訝しげな顔をした。
「・・・和兄に依頼してもいい?・・・」
その言葉に、和斗の表情が険しくなる。
「何故俺なんだ?僚に頼めばいいじゃないか」
「僚には知られたくないから・・・」
思いつめた表情に、和斗の眉間に益々シワが寄る。
「少し、考えさせてくれ」
和斗はそれだけ言うと、エンジンをかけた。
「ん。でも、長くは待てないから・・・」
香の言葉に、和斗は頷いた。
「明日、連絡する」
その言葉に、香はポケットからメモを取り出して和斗に渡した。
「あたしの携帯の番号」
和斗はメモに書かれてある番号を頭の中に叩き込むと、ライターで火をつけて燃やした。
携帯の番号を指定するからには、絶対に僚に知られたくはないのだろう。
(面倒なことにならなければいいがな・・・)
和斗は内心そう思った。
連絡があり香が向かった先は、落ち着いた雰囲気の小さなバーだった。
「待たせたな」
和斗の言葉に、香は不思議そうな顔をした。
「あれ?どうして和兄がここにいるの?」
その言葉に、和斗は訝しげな表情を浮かべた。
「香、自分が何でここにいるか分かるか?」
慎重に聞く和斗の言葉に、香は首を傾げた。
香の様子が尋常ではないと悟った和斗は、香に暗示をかけた。
慎重に言葉を選びながら、数時間前の記憶を呼び起こす。
その記憶で、香が暗示をかけられた事を知る。
和斗は、香が知りうる限りの犯人の特徴を聞き出すと、今度は暗示を解く作業にかかる。
何十分かけて香にかけられていた暗示を解くと、香を正気に戻した。
「あれ?和兄、何時からそこに居たの?」
香の不思議そうな言葉と表情に、和斗は苦笑して答えた。
「ついさっき。声をかけようとしたんだけど・・・何か考え込んでいる様子だったたから・・・」
「ごめんなさい・・・」
「何か頼のべばよかったのに」
香の手元に、バーには似つかわしくないジュースが置いてある。
「ん〜何かそんな気分じゃなくて・・・」
その言葉に、香があまり人の居る所では話したくないということを感じた和斗は、店を出る事を伝えた。
「車の中で話そうか」
和斗の言葉に頷きながらも、香は店の店員が気になるのか何度もチラチラと見ていた。
「心配ないよ。記憶を少しいじくるから」
香は安心したように、微かに息を吐いた。
「・・・昨日の返事を聞きたいんだけど・・・」
場所を和斗の車に移動すると、待ちきれないように香が口を開いた。
が、和斗が口を開くより先に香が慌てて遮る。
「あ、内容を聞いてから判断してもいいんだけど・・・」
らしくない物言いに、香の不安を読み取った和斗は、安心させるように微笑んだ。
「受けるよ」
「え?でも・・・」
「大事な忘れ形見の頼みだからな。どんな無理難題でも請けてやるよ」
意味が理解できずにポカンとしている香に、和斗は微笑んだ。
「槇村には随分世話になっているからね。で、依頼内容は?」
ハンドルに上半身を預けて前方を見ながら、和斗が尋ねた。
「あたしの記憶を消して」
予想外の言葉に、和斗はハンドルに突っ伏した。
「女でも連れ込んだか」
和斗の言葉に、香は思いっきり首を横に振った。
「僚は関係ない!あたしが勝手に決めたの!!」
「・・・なんでまた・・・」
「理由は聞かないで。お願い・・・」
その言葉に、和斗は盛大なため息を吐いた。
「本当はね、別の人に頼もうかと思ったの」
香の言葉に、和斗はゾッとした。
シティーハンターのパートナーがそんな事を依頼したと知れ渡ったら、大変な事になる。
「徹さんに相談したら、和兄に頼んだらって言ったから・・・」
「美樹さんじゃダメなのか?」
「美樹さんに頼むと、僚に知られるから・・・その点、和兄なら安心でしょ?」
香の信頼しきった表情に、和斗は内心ため息を吐く。
香の言動には、どうもプロ根性を上手く刺激されるものがある。
それは、槇村にも言えることなのだが・・・
和斗は妙な所で香が槇村と似通っている事を知る。
「・・・やっぱり・・・ダメだよね・・・」
「別に、ダメじゃないが・・・なんでそんな事を思いついたんだ?」
「賭けをしたくて・・・」
「賭け?」
香の動機が理解できなくて、和斗が聞き返す。
「賭けたいの、あたし達のこれからを・・・」
「・・・その結論が、記憶を消す事なのか?」
和斗の言葉に、香が頷く。
「賭けというからには、当然勝敗があるわけだ」
「僚があたしの記憶を取り戻してくれるのなら、あたしの勝ち。でも、そうじゃなかったら・・・あたしの負け」
「負けたらどうするんだ?」
穏やかじゃない方向へ進んでいく事に、和斗の心の中で警鐘が鳴る。
また、とんでもない爆弾を落とされるのではないか。
その不安は見事に的中する。
「あたしが負けたら・・・和兄の手であたしを消して」
今度の“消す”という意味が、記憶ではなく命である事に和斗が気付く。
「もし、嫌だったら・・・他の人に頼むから・・・」
その言葉に、和斗は怒って香を睨み付けた。
「もし、こんな事を他の誰かに頼んでみろ。俺は全て僚にぶちまけるぞ」
黙りこんだ香に、和斗は再度確認した。
「どうしても、やらなければならないのか?」
和斗の言葉に、香は視線を合わせた。
「必要なの。今」
決意の変わらない強い視線に、和斗がおれた。
「・・・契約成立だ」
その言葉を聞いとたん、緊張の糸が切れた香の目から涙が零れ落ちた。
「ありがとう・・・」
それだけ言うのが精一杯だったのか、もう言葉が出なかった。
「パパ!」
記憶の中に意識を飛ばしていた和斗は、寝起きの子供に呼ばれて視線を下げた。
眠そうに目をこすりながら、心配そうに自分を見ている。
「どうした?」
その視線を受け止めながら、不思議そうな表情で和斗が聞く。
が、和斗の言葉には答えずにある一点を見つめている。
その視線をたどると、自分の赤くなっている頬だという事に気がついた和斗は、苦笑しながらその部分を手で隠した。
なおも心配気に見る慧に、和斗は安心させるように微笑んだ。
「大丈夫。心配ない。もう少し寝てなさい」
慧はにっこりと微笑むと、和斗の膝によじ登る。
不思議そうに思いながらも、和斗は慧の行動を止めなかった。
やがて、何かから和斗を守るかのように、胸にしっかりとしがみ付いて眠りに付いた。
「当分、仕事はさせて貰えそうにないな」
そんな慧を見て、和斗ポツリと呟いた。