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「汚ねぇな〜香が帰ってきたら、どやされるぞ」
 部屋に入るなりそう言う和斗を、僚はソファーに寝転がって一瞥する。
「なんか用か?」
 僚の言葉に、和斗は肩を竦めると本人を無視してキッチンへ向かった。
 シンク内にある汚れた食器の山を見て、顔を顰める。
(心配しなくても、飯は食ってるみたいだな)
 和斗は腕まくりをすると、僚の所に戻った。
「おい!」
 そう声をかけると、和斗はA4サイズの茶封筒を僚に向かって投げた。
 僚は受け取った封筒を見て、問いかけるような視線を和斗に向けた。
「俺がキッチン片付けるまで、それに目を通しとけ。・・・香の検査結果だ」
 そう言って姿を消す和斗には目もくれず、僚は食い入るように書類に目を走らせた。


「和斗!!」
 血相を変えて僚がキッチンに飛び込んできた時、和斗が最後の後片付けを終えた所だった。
 まるで香が居たときのような綺麗さに、しばし僚は呆然とした。
「どうしたんだよ?」
 そんな僚を、和斗が不思議そうな顔で見た。
「・・・一瞬、お前の背中が槇村とダブって見えた・・・」
 その言葉に、和斗が嫌そうに顔を顰めた。
「俺はあそこまで所帯染みてないぞ・・・」
 ボソッと呟いた和斗の言葉に、僚が本来の目的を思い出して叫んだ。
「違う!!そんな話じゃない!!これはいったいどういう事なんだ!!」
 僚は書類の一部分を指差した。
 この反応を予想していたのだろう。和斗はタバコを取り出すと、ゆっくりとそれを味わった。
「なんでそんなに落ち着いてるんだ!!」
「さっき、免疫がついた」
 苛立つ僚を一瞥すると、和斗は顎でリビングに戻るよう示した。
 戻って向かいに和斗が座った事を確認すると、僚が口を開いた。
「これを他に知ってる奴は?」
「俺と教授だけだ」
 神妙な顔でまた書類に目をやる僚に、追い討ちをかけるかのように、和斗が口を開く。
「教授からの伝言。『失敗したな、間抜け』」
 その言葉に、僚はズルッとソファーからすべり落ちた。
「てことは、間違いないんだな。この検査結果は・・・」
「お前な・・・妊娠3ヶ月って出たら疑いようがないだろうが・・・」
「いや、でも一応教授が関わっているからな・・・念のため」
「それは、賢明な判断だな。俺も何度教授の嘘に騙されて死に掛けた事か・・・」
「オーバーだな・・・せいぜいからかわれておもちゃにされたくらいだろ?」
 僚の言葉に、和斗は遠い目をしてポツリと呟いた。
「俺の情報分析の師匠は教授なんだよ」
「すまん。俺が悪かった。嫌な事思い出させたな」
「いや、別にいいよ。忘れたい過去だ」
 その言葉に、僚が乾いた笑いをたてた。和斗にここまで言わせるとは・・・余程えらい目に合わせていると見える。
「て、話がずれてる」
 ハッとして和斗が軌道を修正する。
「・・・3ヶ月ってことは、俺が日本に呼び戻されたあの事件の時か・・・」
「呼び戻されただ!お前が、頼みもしないのにおせっかいで勝手に帰国したんじゃねぇか!!」
「頼みもしないね〜。お前のふがいなさに、連日のように帰ってこいって電話が方々からかかってきて煩かったんだよ」
 グッと言葉に詰まる僚を見て、和斗はため息を吐いた。
 そして、おもむろに立ち上がると、ウイスキーの瓶とグラスを持ってきた。
「こっから先は、これがあった方がいいだろ」
 そう言って、2つのグラスに液体を注ぐ。
「で、どうするんだ?」
 その言葉に、グラスを弄んでいた僚が不思議そうな顔を向ける。
 一瞬、言いにくそうに言葉を詰まらせたが、和斗は意を決して言葉を出す。
「嫌な話だがな、中絶させるんなら今だぞ。幸い、今の香自身は気づいていないからな」
 瞬間、僚の気配が一変する。
 普通の人間なら、その場で恐怖のあまり自ら死を選ぶ程の殺気がまともに和斗にぶつけられる。が、当の本人は平然とした顔で紫煙を吐く。
 まるで心の奥まで見られているかのような、まっすぐに自分を見据える視線から目を逸らした僚は、何度もためらった後、和斗に尋ねた。
「聞きたい事がある」
 その言葉に、和斗の片眉が上がる。
「次に続く言葉が、どうしたらいいという単語だったら、即座に撃ち殺すぞ」
 口調こそ穏やかだったが、放たれる気は僚ですら背中に汗がつたう程だった。
 ふと、あの時海坊主が面白そうに言った言葉が脳裏をよぎった。
『大変だな、お前も。香を不幸にしたら、即座に殺しにかかる兄代わりが二人もいやがる』 
(冗談じゃねぇ・・・しゃれにならんぞ)
 僚は和斗の様子を伺いながらそう思った。と、同時にかつてこの男が名乗っていた名前を思い出した。死神と呼ばれ始める前に和斗自身の手で封印した名。今では存在すら疑問視されている、殺しの神と言わしめた男から受け継いだ名前。
――――――殺しの魔術師。
(その称号は伊達じゃないってことか・・・)
 僚は何とか自分を奮い立たせると、再度和斗に尋ねた。
「なぁ、何でお前はあの子を引き取った?」
 訝しげな表情を浮かべて和斗が答える。
「あの子って・・・慧達の事か?」
 その言葉に、今度は僚が訝しげな顔をした。
「あのガキ以外に誰がいるっていうんだ?」
「いや、てっきり寛弥の事かと思ってな・・・」
 その言葉に、僚はかつて寛弥自身から聞いた話に思い至って、訂正した。
「聞き方が悪かったな。お前は何で親になろうとしたんだ?」
 その言葉から、僚自身も悩み迷っている事を悟った和斗は、僚の問いかけに正直に答えた。
「あの子達は常に狙われているからな」
「だが、それが理由なら、他にも方法があっただろ?原因を取り除いて、何処か安全な所へ養子に出すことも出来たはずだ」
「鼠と同じだ。元をたっても、子はうじゃうじゃいる。それは、あの時の香の一件で分かってるだろ?」
「だが、お前が引き取る事で違うハエも引き寄せることになる。そのために、お前が一番大切にしている人も危険にさらすことになるんだぞ」
「それは俺も散々考えたよ」
「弟の子だからか?」
「そう思っておけば楽なんだがな・・・」
 和斗は吸っていたタバコを灰皿に押し付けるとグラスの中の液体を喉に流し込んで、僚に聞いた。
「お前はどうなんだ?香が妊娠してると知ってどう思った?」
「なんだよ、急に・・・今はそんな話じゃ・・・」
「いいから、答えろよ」
 僚の言葉を遮って、和斗が答えを促す。
「正直な話、戸惑ってる」
「それはそうだろうな・・・」
「この感情をどう説明したらいいか、わからない」
「まぁ、初めて聞かされた時はそんなもんだ」
「そうだよな・・・第一、俺が人の親って想像がつかんし・・・」
「それは分かる」
「けど、不思議と嫌悪感は抱かなかった。・・・なんでだろうな・・・あんなにも自分の血を残す事が嫌だったのに・・・」
「でも、他の女から聞かされたら、嫌悪してただろ」
「あぁ、間違いなく中絶させるか俺自身の手で殺してただろうな」
「というか、聞かされて嫌悪よりも嬉しいって感情の方が勝ってた事に驚いた」
「そうなんだよ。・・・お前なら分かってくれると・・・・」
 ふと、あることに気が付いて僚が不思議そうに尋ねた。
「なぁ、やけにお前との会話にリアルさを感じるんだが・・・」 
 その言葉に、何事もなかったかのような表情で和斗が即答する。
「一般論だ」
 その答えに、どこか釈然としないものを感じながらも、僚はとりあえず納得して話を戻した。
「で、お前はどういう思いで決断したんだ?」
 和斗は、またタバコを取り出した。
 すかさず、僚がライターの火を差し出す。
 和斗は一口吸うと、ゆっくりと、まるで自分自身の心を探るかのように話し出した。
「慧という名は、俺がつけたんだ。弟・・・和明から子供が生まれたって連絡があったときに、名づけ親を頼まれたのさ。双子だとは思わなかったから、一人分しか名前を考えていないからってね・・・」
「情が湧いたって言うのか?」
「どうだろう?実際、あの子達は数える程しか会わなかった俺をもう一人の父親のように慕っていたしな・・・それに、和明達の遺言でもある。俺があの子を引き取って育てることは・・・」
「だから、引き取ったのか?」
「・・・第三者に説明する時はそう答えるだろうな・・・面倒がなくていいし」
 そう言って、和斗は何かを思い出すかのように目を閉じた。
「今でもリアルに思い出す。名付け親として、あの子達に会った時だ。あんな小さな手でなのに、凄い力で掴むんだよ。俺の指をさ。・・・覚えてるか?あの子達をどうするか話し合ってた時の事さ」
「あぁ、覚えてるさ。この場所で、藤城の当主と話してたからな」
「慧が俺を呼んで必死にしがみついただろ?俺の脚にさ。その時に悟ったんだ。こいつらには、俺しか頼る人間がいないんだってね。だから、引き取った」
 そう言って、和斗は目を開いた。
「不安に思わなかったのか?お前が引き取る事で生じてくる諸々の事に」
「正直、不安だったさ。俺は親の愛情を一度も受けたことがない。唯一、それと似たものを注いでくれた人はいたけどね。本当に、あの子達を育てていけるのか不安だった」
「じゃあ、どうして・・・」
「話したんだよ。ありのままの気持ちを寛弥にさ。そしたら、あいつ何て言ったと思う?」
「・・・」
「『確かに、あなたは親の愛情には恵まれなかったかもしれない。その事が原因で親になれないかもしれないというのなら、あたしも同じよ。あたしだって、親の愛情には縁がなかったわ。でも、あたしはそれに匹敵するくらいの愛情をあなたや周りの人から貰ってる。あなただってそうでしょ?思い出して。あなたが今こうして生きているのは、あなたを生かそうとして命を失った人達のおかげよ。それは立派な愛情だわ。自分の父親がどうだとか、世間一般の父親がどうだとか、そんな事はこの子達にもあたしにも関係のないことよ。世間に誇れる親になるんじゃない。この子達が誇れる親になればいいの。・・・それでもまだ自信がないなんていうんじゃないでしょうね?あたしが惚れた男はそんなに度量の狭い男だったかしら?』だぜ」
 その時の様子が想像できて、僚は思わず笑みを浮かべた。
 そして、ゆっくりとウイスキーを口に運ぶ。
「お前には勿体無いくらいのいい女だな」
「あぁ、本当にいい女になったよ。あいつは」
「・・・お前は結局惚気たいだけなんだろ?」
「あたり。俺は今幸せなんだぞってだれかにアピールしたかったんだよね・・・」
 その言葉に、僚が露骨に嫌な顔をする。
「だったら、とっとと帰れ!!」
 そう言って、手を振る僚を見て、和斗は苦笑すると残りのウイスキーを一気飲み干した。
「まぁ、よく考えるんだな。まだ暫くは時間がある。結論がでたら教えてくれ。俺はお前の考えに従うから」
 そう言って出て行く和斗の後姿を見ることなく、僚の視線は窓の向こうの暗闇に向けられていた。