野上姉妹の恋愛講座

「ウソ!?本当にここで食事するの?冴子お姉ちゃん!」
 少女は驚いて、隣にいる姉に尋ねた。
「唯香、前にここで食事したいって言ってたでしょ?」
 冴子は妹に向かって言った。
「別に、あんたの意見を聞いたわけじゃないわよ。あたしたちも偶然会話してたのよ、そのうち食べにこようって」
 冴子の隣にいた麗香はそう妹に言った。

彼女達が入ろうとしている店は、都内でも有名なフランス料理店だった。
味もさることながら、従業員のサービスが行き届いている店として雑誌に何度も掲載されているが、店の方針なのか場所や連絡方法がいっさい記載されないので知るひとぞ知るといった感じの店である。

「でも、よくこの席の予約とれたよね・・・冴子お姉ちゃん」
 あらかじめ予約してあった席に案内されると、唯香はメニューを見ながら聞いた。
「あたしも驚いたわよ、姉さん。この場所の席って、紹介がないと予約できないんでしょ」
 麗香も感心して姉に尋ねた。
 3人が通された席は店の奥まった所にあり、ゆとりのあるテーブル配置がしてある。
 場所も一般の席よりも少し段があがった作りになっているため、この場所は一般席からは見ることが出来ない。また、一般席よりも室内の明かりが落とされており、個々のテーブルの明かりがキャンドルかランプのどちらかを好みによって選べる事でも人気を集めている。
まさに、常連客が気兼ね無しに食事を楽しめる場所である。
それ故に、客層も様々である。
年配の夫婦から若いカップル・・・
仕事の同僚から親しい友人達・・・
ここに居る人々は自分達の世界を築いており、周りの事には気にも留めない。
だからといって、マナーが悪いわけでもない。
互いに迷惑にならない声量で会話をしている。
「ミックに紹介してもらったのよ」
 冴子は軽く肩をすくめて言った。
 その言葉に、麗香と唯香も納得した。
 さすが、プレーボーイと名を馳せるだけはある。
 こういう事にはぬかりがない。
「何かいいよね・・・この雰囲気。料理やお店を楽しむっていうより、今この瞬間を楽しむために料理とお店があるって感じがして・・・」
 唯香は周りをさりげなく見渡しながら、ポツリと呟いた。
「本当にそうね・・・」
 麗香も唯香の言葉に同意した。
「ねぇ、お姉ちゃん。あそこにいる人って・・・」
 唯香の言葉に冴子と麗香はメニューから顔を上げると、唯香の視線を追った。
「あら?本当・・・」
 冴子は視線の先に見知った女性の姿を見つけて呟いた。
「デートかな・・・?」
 唯香の言葉に、麗香が同意する。
「そうでしょ?あの身だしなみなら・・・」
 麗香は彼女の方を見た。
 淡いブルーのワンピースに白いカーディカンを羽織っており、髪はアップにまとめている。明らかに、普段の彼女の服装とは違う。
「あのワンピース・・・すごく似合ってるよね・・・やっぱり相手は旦那さんよね・・・」
「そうでしょ。まぁ、違ってたらそれはそれで楽しいけど」
 冴子はそういうと、目にしていたメニューを閉じた。
「あたしは決まったわよ、あなた達は?」
「決まったわ」
 麗香と唯香も冴子の言葉にそう言って頷いた。
 
「ねぇ、遅いね・・・」
 唯香はふと気になって彼女のいるテーブルを見た。
 唯香の言葉に、冴子と麗香も食事の手を止めて彼女の方に視線をやった。
 先程から、しきりに腕時計を見ては溜め息をついている様子が見える。
「たいぶ待ち合わせに遅れてる見たいね・・・」
 冴子が小声で言った。
 冴子達のテーブルからは彼女のテーブルが良く見えるが、彼女の方からはこちらの様子はわからないようだ。
「あ!やっと来た!!」
 唯香は彼女の夫の姿を見つけた。
 どうやら、彼女も待ち人の姿を見つけたらしい。
「ぜったい文句を言うべきよ!待ち合わせに遅れるなんて最低!!」
 麗香は自分の事のように怒った。
「あっ!彼女も、何か言うみたい」
 唯香の言葉に、麗香と冴子も彼女達のテーブルを見た。
「きた!君のために選んでたら遅くなった攻撃!!」
 麗香の言葉に唯香が男の方に注目すると、花をあしらった小さい籠を彼女に手渡している所だった。最近花屋でよく見る物で、綺麗な花でプードルの形にアレンジしてある。
「さすがに、ぬかりないわね・・・花束よりあのタイプを選んできた事に感心するわ」
 冴子が呟いた。
「本当。今ので遅れた事に文句が言えないわね。しかも、バラの花束じゃないのがさすがね」
 麗香の言葉に、唯香が不思議そうな顔をした。
「どうして?あたしはバラの花束のほうがいいけど・・・」
「バカね!こんな所でそんな花束貰っても、置き場所に困るでしょ?花束一つにも、時と場所を考えて選べる男がいいのよ!!」
「そうなの?冴子お姉ちゃん」
 唯香の言葉に、冴子は肩を竦めた。
「まぁ、花束の趣味は人それぞれだけど・・・麗香のいう事にも一理あるわね」
「?」
「唯香、学校にバラの花束抱えてくる彼氏が欲しい?」
「・・・嫌かも・・・」
 心底嫌そうな顔をした唯香を見て、冴子は苦笑すると言った。
「前に彼女が言ってたのよ、主人からバラの花束を貰ったら離婚するって」
「何で?」
 麗香が不思議そうに聞いた。
「他の女性と一緒にされるのが嫌なんだって」
 冴子の言葉に、麗香と唯香も納得した。
 確かに彼女の言いそうな台詞である。

「あ!料理の注文に入るわよ!!」
 唯香の言葉に再び注目すると、丁度2人のテーブルにメニューが運ばれていた。
「あれ?少し何か言っただけで、メニュー返しちゃったよ?」
 男は彼女に何かを尋ね、ボーイに何やら告げていた。
「やるわね」
「あれにも何か意味があるの?麗香お姉ちゃん」
「もちろんよ!ここはよく知ってる攻撃よ!!」
「・・・・」
「簡単に言えば、お任せコースね」
 麗香の言葉に冴子が補足する。
「お任せって、お店に全て委ねるって事でしょ?メニューを見て選ぶ男性の方が、あたしはいいけどな・・・」
 唯香の言葉に、麗香が眉を吊り上げて反論した。
「あんたね・・・散々待たされてお腹がすいているっていうのに、さらにメニューで待たされたらあたしは怒るわよ!」
「お任せって、そんなにいい手なの?」
 唯香の質問に、麗香が呆れた顔をした。
「お任せって言えば、この店のシェフ自慢の料理が出てくるのよ!事前に限度額を伝えてあるならまだしも、一体いくらかかると思ってるの?」
「でも、そんなに高い料理が出てくるとは限らないじゃない」
 唯香が反論すると、麗香は溜め息をついた。
 副音声で“これだからお子様は”と唯香の耳には聞こえたような気がした。
「あの男がそんなセコイ事をすると思う?仮にもミックが師と尊敬してる人物よ!?」
(尊敬されてる本人はすっごく嫌がってるけど・・・)
 冴子は内心同情した。
「まぁ、一度でいいからお金に際限なくお任せコースを食べさしてくれる男と食事がしてみたいものよね・・・」
 冴子がしみじみと言う。
「あたしも、そのコースがよかったな・・・」
 何気ない唯香の発言に、冴子と麗香が眉を吊り上げて反論した。
「あんたの食事代は、あたしたちが折半して払うのよ!そんな贅沢が出来る立場!?」
 2人の姉からのお怒りの言葉に、唯香は首を竦めた。
 どうやら彼女達のテーブルも、和やかに会話がはずんでいる様子である。
特にこれといって話題にのぼるような様子もないので、麗香達も食事に専念した。

「向こうもデザートみたいよ」
 唯香は彼女達のテーブルを見て、姉達に言った。
 3人が彼女達の方を見ると、彼女が何やら男に話しかけていた。
 その言葉を聞いて、男の視線が手元のデザートを見る。
 何事かと冴子達も様子を伺っていると、男が自分のデザートを彼女に譲っていた。
「なんだろ?食べたいって言ったのかな?」
 唯香が不思議そうに言った。
「食べてあげるって言ったのかもよ。彼、甘い物が苦手だから」
 麗香の言葉に、唯香は残念そうに手元の木苺のケーキを見た。
「もったいない・・・甘さ控えめなのに・・・」
「ねぇ、姉さん・・・これで終わりだと思う?」
 麗香の言葉に、冴子は眉を吊り上げた。
「うそでしょ?花だけで終わりにしたら、あした文句言ってやるわよあいつに!」
「何の話?」
 2人の姉の会話についていけず、唯香が麗冴子に聞いた。
「プレゼントよ」
「プレゼントって・・・さっきのお花じゃないの?」
「あんたね・・・花でプレゼントが終わりなら、家で食事すりゃあいいのよ!」
「そんなもの?」
 唯香は目線で冴子に尋ねる。
「まぁあね・・・」
「あ!何かボーイに言ってる!!」
 麗香の言葉に、冴子と唯香が注目した。
 見ると、男がボーイを呼んで何やら頼んでいる様子だった。
 しばらくすると、ボーイが何やら小さい袋を大事そうに持って来た。
「ボーイに預けるとは・・・やるわね」
「やっぱりジュエリーだと思う?」
「あのサイズの袋ならそうなんじゃない?」
 3人は食い入るように、彼女の一挙一同を見ていた。
「あの大きさなら、指輪じゃない?」
 唯香は彼女が袋から取り出した正方形の箱を見て、言った。
「定番すぎない?」
 麗香の不満そうな口調に、冴子が答えた。
「定番でも、貰えば嬉しいものよ」
「箱を開けるわよ!」
 唯香の言葉に、冴子も麗香も固唾を飲んで見た。
「うそ!?オルゴール!!」
 麗香が信じられないといった口調で叫んだ。
 彼女が箱から取り出したのは、野上姉妹の予想を裏切っていた。
「あの形のオルゴールはよく見るけど・・・あんなサイズある?」
 唯香の疑問はもっともである。
 オルゴールは、何処にでもあるピアノの形をしていたが。透明なため、中身が見える。
それで野上姉妹にもオルゴールだとわかったのだ。
 しかし、どう見ても彼女が手にしていた箱の大きさは指輪のケースが納る位である。 
「・・・特注じゃない?」
 冴子の言葉に、唯香が反応した。
「特注ってことは、曲も頼んだのかな?」
 唯香の言葉に、冴子は常日頃からかの男が口癖のように言っていた言葉を思い出した。“目的のためなら手段を選ばず、使えるコネは全て使え”
(仕事の時だけかと思ってたら・・・女性を口説く時にも使うのね・・・)
「最近のはやりの曲だったら、今この瞬間に張り倒してやるわよ!」
「クラッシックじゃない?」
 麗香の言葉に、冴子が答えた。
 ここまで用意周到なかの男がこんな所でしくじるとは思えない。
「あ!蓋を開けるわよ」
 唯香は興味津々といった感じだ。
 彼女がオルゴールの蓋を開けると、優しい音色が聞こえてきた。
「この曲・・・」
 冴子と麗香が曲の題名に気付いたのと、唯香が彼女の反応に気付いたのが同時だった。
「え?何、あの表情」
 蓋を開けた彼女の表情は、驚きと嬉しさが混じっていた。
「オルゴールの中に、何か仕込んであったわね」
 麗香が感心したように呟いた。
「指輪かな・・・」
 唯香はオルゴールのサイズから想像した。
「指輪だったら、取り出してはめるでしょ」
 冴子が唯香の案を否定する。
「じゃぁ、何よ・・・あぁ、もう!ここから見えないのがこんなにもどかしいなんて!!」
 唯香が発狂するのを、麗香がなだめた。
「明日確かめればいいじゃない。でも、彼女の欲しいかった物みたいよ。あの表情からすると」
 唯香が彼女の顔を見ると、信じられないといった表情をしていた。
 彼女が男に向かって何か言うと、男が即座に口を開いた。
 そのとたん、彼女の顔が朱に染まった。
「何?」
 その様子に、唯香は不思議そうな顔をした。
「どうせ、あのオルゴールの曲に引っ掛けて何かいったんでしょ」
「あら、麗香も気付いた?」
 冴子の言葉に、麗香は当然というように頷いた。
「・・・あたしも好きなのよ、あの曲」
「ねぇ、何か意味があるの?あの曲に・・・」
 唯香の言葉を聞いて、麗香は苦笑した。
「ここから先は、お子様には教えられません」
「何よ、それ!」
 唯香は面白くないといった表情で冴子の方を見た。
 ひょっとしたら一番上の姉が教えてくれるのではと、淡い期待を抱いていたのだが・・・
相変わらず、冴子はすました顔でコーヒーを飲んでいる。
「あ・・・帰るみたい・・・」
 唯香はあきらめて彼女達を見ると、丁度席を立つところだった。
「あたし達もそろそろ帰る?」
 麗香がそういうと、冴子も賛成した。
「そうね・・・もうしばらくしたらね」

「野上様ですね。先程、保科様よりお会計の方は頂いております」
 会計の場でそう言われた冴子は呆然とした。
 よもや、自分達が観察していた夫妻におごって貰うとは・・・
「うそでしょ!?」
 麗香も呆然とする。
「さすが、保科さんね!気が利く!!」
 唯香が喜んでいると、冴子と麗香が怒りの形相で睨みつけた。
「冗談じゃないわよ!あいつに仕事頼もうと思ってたのに!!」
「姉さんも!?あたしも頼もうと思ってたのよ!これじゃぁ、頼めないじゃない!!いいわ。僚にやってもらうから!!」
「ずるいわよ、麗香!!あたしも僚に頼もうと思っていたんだから・・・」
 2人の姉の言い争う声を聞きながら、唯香は一人考え込んでいた。
(家のお姉ちゃん達を出し抜ける人なんて、あたしの知る限りでは保科さんくらいよね・・・あたしもああいう旦那さんを持とうかな・・・)
 唯香はそう考えながら、ふとある人物の顔が浮かんで盛大なため息をついた。
「どうしたの?唯香」
 その様子に気付いた冴子が声をかけた。
「ちょっとね・・・ふと思ったの。保科さんとまでいかなくっても、ミックさん位の甲斐性が冴羽さんにあったら、香さんも苦労しないだろうな・・・って」
「たしかに・・・」
 その言葉に、冴子と麗香も頷いた。
 せめて、2人を足して2で割るくらいはあってもいいかも・・・
 野上姉妹共通の意見である。


次の日、この一部始終を唯香から聞かされた保科氏の頭の中には・・・
“知らぬが仏”という言葉が浮かんだそうだ。

                                                END


言い訳:野上姉妹が人を観察する時、どういう会話が繰り広げられるのだろう?という考えから思いついたネタ。もしターゲットとなった夫婦の会話の内容を知りたい方は、レストランもどうぞ。