エピローグ

「急な用事って何?」
 その日の夕方、和斗に呼び出された香は、キャッツ・アイの奥まった座席に和斗と向かい合って座っていた。あの事件からそう時間が経っていなかったため、香は不思議に思った。
「香さんに返さなきゃならない物があるの」
 和斗の隣に座っていた寛弥は、そう言って夫の顔を見る。
 そんな2人の様子に、香もまた隣にいる僚の顔を見た。
「ずっと、どうしようか迷ってたんだけど・・・やっぱり、香に任せるのが一番いいと思ってね」
 和斗はそう言うと、テーブルに見覚えのあるライターを置いた。
「これ・・・」
 怪訝そうな顔で香がライターを見る。
「表を見てみろ」
 和斗に言われて、香はライターを手に取って引っくり返した。
「これ!?」
 そのライターに彫られているイニシャルを見て、弾かれたように香も僚も和斗の顔を見た。
「槙村が亡くなる3日前に、忘れていったものだ」
「でも、どうして兄貴がこれを!?」
「再会した記念と、大掛かりな事件を解決した祝いを兼ねて、広人が作ろうと言い出したんだよ。槙村はダバコを吸わないから、最初は渋っていたんだが・・・結局は広人に押し切られる形になってね。まぁ、戒めみたいなものさ。初心を忘れないようにって言う・・・」
 和斗の言葉に、香は食い入るようにライターを見ていた。
 丁度その時、一仕事追えた冴子がキャッツ・アイに顔を出した。
 見るからに、機嫌が悪そうな冴子に、美樹はコーヒーを出しながら聞いた。
「で、結局どうなったの?」
「どうもこうもないわよ。結局理沙は、FBIから身柄の引渡し要請が来て、直ぐに向こうに連行されて行くはずよ」
 その口調から、冴子がかなり怒っている事に気が付いて、美樹は肩を竦めた。
「まぁ、向こうにしてみれば身内の犯行だからな。あらゆる手段を講じてでも、早々に連れ戻したいだろうさ」
 海坊主の言葉に、冴子はため息をついた。
「それにしてもよ!!」
 丁度、冴子の言葉を遮るような形で、店の扉が開く。
「誰かさんの作為を感じずには居られない程、電光石火の早業よ!」
 誰かという箇所に殊更力を込めて、冴子が言う。
「もう、頭に来る事ばっかりよ!金石は転属願いを出して、どこぞの田舎の交通課に配置換えになるし!!」
(それは、よっぽど居たくなかったのだろう・・・)
 という言葉を、そこに居る誰もが飲み込む。
 
そんな冴子を見ていた香は、僚に聞いた。
「いいよね・・・僚」
 香の言葉に、意図を汲み取った僚が優しく微笑んで頷いた。
 香はそっと許可を貰うように、和斗達を見る。
 和斗達もまた、香のやろうとしている事を感じて、微笑んで頷いた。
 元々香に返した物である。香がどうしようと、自分達が口を挟む権利はない。
 香は僚達の様子に勇気付けられると、ゆっくりと席を立って冴子の元に近づいた。
「冴子さん」
 香に呼ばれて、冴子が不思議そうに見た。
「これ・・・冴子さんに貰って欲しくって・・・」
 そう言って、先程和斗に渡されたライターを冴子目の前に置いた。
 見覚えのあるライターを訝しげに見ながら、冴子は手に取った。
 表に刻まれているH・Mのイニシャルを見た瞬間、冴子の表情が凍りつく。
「和兄が持ってたらしくって、さっき返してもらったんだけど・・・冴子さんが持ってた方が、兄貴は喜ぶんじゃないかと思って・・・」
「受取れないわ!香さん!!だって、これは槙村の・・・!!」
 形見という単語が喉元まで出かかったが、冴子は声に出す事が出来なかった。
 それを言葉に出来るほど、冴子の気持ちは整理が出来ていない。
 そんな冴子の様子を見て、香は微笑んだ。
「さっき、和兄に聞いたんだけどね。それ、始めて大きな事件を解決した時に、兄貴達が作ったんだって。初心を忘れずにという戒めを込めて・・・だから、タバコを吸わない兄貴も、大事に持っていたんだと思うの・・・」
 香はそう言うと、目を閉じた。そして、意を決した様に大きく息を吐いた。
「そんな気持ちが篭った物だから、冴子さんに持っていて欲しいの。兄貴の意思を継ぐ刑事である冴子さんに」
 香の言葉に、冴子が驚きで目を見開いた。
 そして、ゆっくりと微笑みを浮かべた。
「ありがとう、香さん。大事にするわ・・・一生・・・」
 冴子の言葉を聞いた香は、満足そうな笑みを浮かべた。


「あ〜あ・・・今回は最後まで振り回されて終わった事件よね・・・」
 暫くして落ち着いた後、冴子がポツリと呟いた。
「お前はまだいいじゃないか!俺なんか、全く関係がないのに撃たれたんだぞ!!この憂さを誰にぶつければいいんだ!!」
 僚の納得がいかないという言葉に、寛弥がぼそっと呟いた。
「いるじゃない、一人。当事者でありながら、全くの無傷でいる人物が・・・」
「・・・そういえば、居たわね・・・そんな奴が一人・・・」
 寛弥の言葉に、冴子が思いだしたように呟いた。
 当の本人はと言えば、ここぞとばかりにそっとその場を離れようとした。
「冴羽さん!捕獲!!」
 寛弥の言葉に、僚が素早く逃げようとしている人物を羽交い絞めにする。
「どこ行くんだよ!和斗!!」
 意地の悪い笑みを浮かべながら、僚が尋ねる。
「いや、ちょっと用事を思い出して・・・」
「あたし、あなたに空白の3日間について聞きたいんだけど・・・」
 寛弥が満面の笑みを浮かべて和斗の前に立つ。
「おい、タコ坊主!酒持って来い、酒!!今夜は和斗のおごりでパーと行くぞ!!」
 僚の言葉に、美樹が楽しそうに手を叩いた。
「和斗さんが支払うんなら、ツケで踏み倒される心配も無いから、安心して呑めるわね!!ついでに、ミックさん達や麗香さんもよびましょうか」
 美樹の楽しげな声に、香が賛成する。
「あ!美樹さん。請求書は、和斗個人宛てにしてね」
 寛弥の言葉に、和斗が焦りだした。
「ちょっと待て!うわばみ3人にブラック・ホールが4人だぞ!!一体幾らかかると思ってるんだ!!」
「だから、気兼ねなしに呑めるんじゃない」
 寛弥の言葉に、和斗が情けない声を出した。
「冗談だろ・・・?」
 そのとたん、満面の笑みを浮かべたメンバーが最後通告のように声を揃えて、和斗に言い放った。
「ううん。大マジ」

 かくしてこの日、喫茶キャッツ・アイでは、深夜遅くまで某人物を覗いた全員が盛り上がったという。