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「今日も依頼無しか・・・」
香はガックリと肩を落としながら、トボトボと歩道橋の上を歩いていた。
「あ、ごめんなさい!」
香はすれ違いざまにぶつかった、老人に謝った。
「いや、大したことないから」
老人はそう言って微笑むと、香の顔を見上げた。
「・・・ひょっとして・・・槙村香君?」
名前を呼ばれて、香が驚いた顔をした。
「どこかで、お会いしましたっけ?」
「覚えとらんか?工藤じゃよ、少年課の・・・」
「ひょっとして・・・昔、新宿署にいた・・・」
「そうそう、その工藤じゃよ」
「お久しぶりです!お元気ですか?」
香は嬉しそうに老人の手を取った。
「お前さんも、立派になって・・・昔、わしの手を煩わせていた子とは思えんぐらい穏やかな顔をしとる」
「あの時は、色々お世話になりました」
香は深々と工藤に頭を下げた。
「今となっては、いい思い出じゃよ」
工藤の微笑みに、香も微笑んだ。
「それじゃぁ・・・あたし、急ぎますから」
香は再度工藤に、お辞儀をするとその場を離れた。
工藤は暫く香の後姿を見守っていたが、やがてゆっくりと歩き出した。
その工藤の足がふと止まった。
長年培ってきた刑事のカンという奴かもしれない。
一人の女性の姿が、妙に工藤は気になった。
暫く、工藤はその女性を見ていた。
次の瞬間、工藤は慌てて走り出した。
その女性が誰かを突き落としたのだ。
周りから悲鳴が上がる。
工藤は、慌てて階段の踊り場で倒れている女性に駆け寄った。
「大丈夫か!?」
そう、声をかけて女性の顔を覗き込んだ。
「!?」
工藤の目が驚きで、見開かれる。
そして、慌てて上を見た。
しかし、そこには既に先ほどの女性の姿はなかった。
「何か朝からざわついてるわね・・・」
冴子は警視庁の廊下を歩きながら、呟いた。
「野上刑事!!」
後ろから金石の声が聞こえ、冴子は立ち止まった。
「聞きました?野上先輩!!」
「何かあったの?金石君」
「何かあったなんて物じゃないですよ!昨日、警備課の五嶋さんが襲われたらしいですよ」
その言葉に、冴子の表情が真剣になる。
「五嶋さんって・・・元公安の!?」
「えぇ、もう朝から公安も騒ぎまくってますよ!!」
(偶然だろうか・・・?)
冴子は昨日の僚の電話を思い出して考えこんでいた。
五嶋といえば、槙村とは親しかった刑事である。
(槙村に恨みを持つ物の犯行かしら?)
冴子が考え込んでいると、携帯電話が鳴り響いた。
「金石君、鳴ってるわよ。携帯」
冴子はいらいらした口調で告げる。
考えを途中で中断される事ほど、嫌なものはない。
「僕のじゃないですよ、野上刑事のです」
金石の言葉に、冴子は苛つきながら携帯の着信ボタンを押した。
「もしもし・・・!!」
金石が思わず首を竦める位に、刺のある口調である。
しかし、次の瞬間には冴子の表情が一変する。
金石は何か事件が起こったのだと理解した。
「分かったわ。直ぐ行く!!」
冴子は通話を終えると、金石に捲くし立てた。
「ごめん、金石君!あたしちょっと用事を思い出したわ!!」
そう言うが早いか、冴子は身を翻して走り出した。
その背に、金石が慌てて声をかける。
「ちょっ・・・!?野上刑事!!会議はどうするんですか!?」
「聞き込みに行ってるって、適当に言い訳しといて!!」
冴子の言葉を聞きながら、金石は盛大なため息をついた。
「一体、どういう事なの!?」
病院に着くなり、冴子は入り口で待っていた妹の麗香に怒鳴った。
「あたしも、さっぱりよ!偶然、この病院に用事があって来てたら、香さんが運ばれてくるじゃない?驚いて、姉さんに連絡したのよ」
麗香は冴子と並んで歩きながら、手早く連絡した経緯を話した。
「あら、皆さんおそろいで」
冴子は麗香に案内された病室の前に着くと、廊下に居るメンバーの顔を見て言った。
「そちらは?」
冴子は見慣れない工藤の顔を見て、ミックに聞いた。
「さぁ?俺も今来たばかりだから。僚に聞いたら?」
冴子は、周りを見渡したが探している人物の顔は見えなかった。
「冴羽さんなら、寛弥さんと一緒に病室よ」
美樹が冴子の疑問に答える。
「そう言えば、和斗は?」
冴子は必ずといって居るはずの人物の姿が見えない事に気づいた。
そう言えば・・・と言うように、他のメンバーも顔を見合わせる。
「何だ?お揃いで」
僚は廊下に居るメンバーの顔を見て、嫌そうに呟いた。
どうせ、また文句を言われるのだろう。
「あたし達だって、香さんの事が心配なのよ!」
美樹が僚に抗議する。
「そう言えば、お兄さんはどうしたのかね?」
工藤が僚の後ろから出てきた寛弥に向かって言った。
その言葉に、周りがギョッとした。
槙村が既に死亡しているのを、この人物は知らないのだろうか。
「すみません・・・主人はどうしても仕事ではずせなくって・・・」
寛弥の言葉に、工藤が寂しそうに呟いた。
「まぁ、忙しいからな。FBIは・・・」
工藤の言葉に、寛弥以外のメンバーが驚きで目を見張った。
工藤の言う兄というのが、槙村の事では無く和斗の事だと知ったからだ。
「ところで、工藤さん。香さんを突き落としたのは、間違いなく女性だったんですね」
寛弥の言葉に、冴子と僚が反応した。
「あぁ、間違いなく女性だった。後姿しか見とらんから、詳しい事は言えんが・・・背丈は丁度その女性ぐらいで、髪はショートカットだった」
工藤は美樹を指差すと、そう言った。
「わしは、そろそろ帰ってもいいかね?」
工藤が寛弥に聞く。
「すみませんが、もう少々伺いたい事があるので・・・連絡先を教えてはもらえませんか?」
冴子は工藤に警察手帳を見せると、連絡先を聞いた。
「どういう事なの!寛弥さん!!」
工藤が帰った後、冴子が寛弥に突っかかった。
周りも食い入るように寛弥の顔を見る。
落ち着いてと言うように、寛弥が冴子の顔の前に両手をかざす。
「あたしも知らないのよ!ただ、口裏を合わせておけって言われただけだから・・・」
「誰に!!」
「家の行方不明のバカ亭主」
寛弥の容赦ない言葉に、誰しも次の言葉を飲み込んだ。
何となく、聞けない雰囲気が寛弥から漂っている。
「じゃぁ、あたしは忙しいからこれで。冴羽さん、香さんあさってには退院出来るから忘れないで迎えにくるのよ」
寛弥は僚に念押しすると、その場を離れようとした。
「ちょっと、待って!!」
麗香は寛弥の腕を掴んで引き止めた。
とたんに、寛弥が痛そうに眉をしかめる。
その表情が昨日の香の表情と同じだったので、僚がそっと麗香の手を寛弥の腕から離した。
「最初に狙われたのは、君だったのか・・・」
僚の言葉に観念したのか、寛弥がため息をついた。
「そう・・・最初に狙われたのはあたし。仕事帰りに、狙撃されたのよ。っていっても、掠り傷だけど」
寛弥の言葉に、冴子が思い出したように上着のポケットからジッポーを取り出した。
「寛弥さん、これ知ってる?」
そう言って、寛弥に手渡す。
刑事としてのカンが告げていた。
鍵を握っているのは、この人物だと・・・
「冴子さん、これどこで!?」
寛弥はジッポーを見たとたんに、驚愕の表情を浮かべた。
純銀のどこにでもあるシンプルなデザインだが、右隅に金色の文字でH.Fとある。
「とある、殺人現場。知ってるの?」
嬉しそうな冴子の表情とは対象的に、寛弥の顔は真っ青だった。
「これ・・・広人さんのよ・・・」
寛弥は震えた口調で、その名を告げた。
「広人って・・・ひょっとして、深沢広人の事?」
僚の言葉に、寛弥が頷く。
思いもよらない人物の名が挙がり、冴子を除く全員が驚きに目を見張った。