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「保科なら出かけとるぞ」
 入ってきた男の顔を見るなり、この建物の主が言った。
「別にあいつでなくてもいいんだけど」
 その言葉に、無精髭をはやした男がジロリと見る。
 男が抑えている腕から血が滴り落ちる。
「奥の部屋でまっとれ。すぐ帰ってくるだろ」
 そう言って、奥の方を顎でしゃくる。
「診てくれないのか?あんたも医者だろ・・・」
 男の戸惑った口調に、医者がニッと笑った。
「一刻を争う怪我でもないだろ。担当医が来るまで我慢しとれ。何なら、適当に自分で手当てしてもいいぞ」
「変わってるな・・・あんた」
 男の言葉に、医者が可笑しそうに笑った。
「多かれ少なかれ、歌舞伎町に根付いてる人間なんか変わってるだろ。わしもお前さんもな」
 その言葉に、男の眼が鋭くなる。
「そう睨むな。お前さん、よく保科とつるんどるだろ。何かあったのか?奴め、血相変えて飛び出してったぞ」
 医者の言葉に、男が訝しがる。
「おっ!噂をすれば・・・帰ってきた」
 その言葉と同時に、保科和斗がドアを開けて入ってきた。
「すいません、院長。遅くなりまし・・・」
 和斗の言葉が、院長の隣に立っている男の姿を見たとたんに止まった。
「僚・・・?」
 和斗は男の名を口にすると、腕の傷を見た。
「お前!?」
 和斗の表情が驚きに変わる。
「お前さんがそんな表情をするとは・・・余程親しい間柄とみえる」
「院長」
 和斗がため息混じりに、諭す。
「とにかく、こっちに来い。治療する」
 和斗はそう言うと、先程院長が示した奥の部屋に僚を連れて行った。

「一体、どうしたっていうんだ?」
 僚の治療が終わると、和斗が尋ねた。
「どうしたもこうしたも・・・こっちが聞きたいくらいだ。いきなりズトン!だぜ」
「・・・美人だったか?」
「そりゃもう・・・・!!」
 そう言ってから、僚が慌てて口元を手で覆った。
 その言葉を聞いた和斗が、盛大なため息をつく。
「俺は、昔っからいってるよな。それ、直せって・・・お前は、美人っていう理由だけで見ず知らずの人間に親切に撃たれてやるのか?」
 僚が首を竦めて、和斗の言葉を聞いている。
 まるで、いたずらが見つかって校長先生に怒られている小学生である。
「俺だって、香の名が出なけりゃこんな無様な事にはならなかったさ!」
 僚の言葉に、和斗が目を細めた。
「香の・・・?僚、詳しく話せ」
 和斗の言葉に頷くと、詳しい出来事を話しだした。
 

「おいしい酒にかわいこちゃん!今日も最高!!」
 ほろ酔い加減で裏路地を歩いていた僚は、背後からの声に呼び止められる。
「シティーハンター・・・冴羽僚・・・」
 その声の方向に、不機嫌そうな表情で僚は振り返った。
 そこに立っていたのは、一目で美人と分かる女性だった。
「何の用だ?」
 僚が尋ねる。
 何時もなら、嬉しそうに抱きつきに行く男がじっと佇んでいる。
 その理由は、自分に向けられている拳銃のせいだ。
「別にあなたに恨みは無いのよ・・・恨むんなら、槙村香を恨むのね」
 彼女の言葉に、僚の眼が驚きで見開かれる。
 その瞬間、腕に激痛が走る。
 その痛みに気をとられている間に、既に彼女の姿はなかった。


「・・・恨むんなら、香を恨めか・・・」
 和斗は腕を組むと、考え込んだ。
 自分や僚と違い、あの香に限って他人から恨みを買うなど考えられないからだ。
 まして、拳銃まで持ち出す相手の恨みを買うなどありえない。
 嫌、あってはならない事だ。
「槙村の刑事時代の恨みって事はないか?」
 僚の言葉に、和斗が眉を寄せる。
「それは、俺に聞くよりも冴子に聞いた方がいいんじゃないか?」
「だよな・・・」
 僚もまた同じように考え込む。
「・・・にしても、何で今頃・・・」
 和斗と僚が同時に口を開いた。
 どうやら、二人とも同じ考えだったらしい。
「何にせよ、詳しい情報もないのに話していても始まらん。俺も少し当たってみる」
「悪いな」
 素直に礼をいう僚に、和斗が気にするなと言うように微笑んだ。


「ただいま〜」
 僚は小声でそう言うと、そっとリビングのドアを開けた。
 腕の怪我の言い訳で、頭の中は一杯である。
「僚!?大丈夫なの?」
 僚の顔を見たとたん、香が心配そうに走り寄った。
 その表情を見て、僚は和斗が連絡した事を知る。
(だっく・・・余計な事しやがって・・・)
 僚は、内心和斗に悪態ついた。
「和兄かばって撃たれたって聞いたけど・・・」
 その言葉に、僚は和斗が嘘をついてくれた事を知る。
「たいした事ないぜ。ただのかすり傷だよ!」
 そう言って、腕をぐるぐる回した。
「本当?」
 尚も心配そうな表情の香を安心させるため、つとめて明るい口調で話す。
「偶然、飲み屋の前で鉢合わせしてさぁ・・・もう、まいったぜ!」
「偶然、飲み屋ね・・・」
 その言葉に、只ならぬ怒りを感じて僚の表情が引きつった。
 次の瞬間、僚が恐怖で壁にへばりつく。
「な・・・何かな・・・香ちゃん?その手に持っているハンマーは・・・」
「己は・・・この危機的状況の中、よくもツケで飲み歩けたな!その根性、叩き直してくれる!!」
 そう言って、僚の頭上にハンマーを振り下ろした。
「口は災いの元ってか?」
 ハンマーの下で、僚がポツリと呟いた。

 満足そうに手を叩いていた香の表情が、一瞬曇る。
 それを見逃す僚ではない。
 香が慌てて後ろに隠そうとした右手を素早く掴む。
「つっ・・・!?」
 香の微かな悲鳴に、僚が袖をまくった。
「どうしたんだ?この傷!?」
 香の腕の擦り傷を見て、僚が聞いた。
 香はそっと、自分の手から僚の手を離す。
「これこそ、たいしたことじゃないのよ。急いでたら、歩道橋の階段を踏み外しちゃって・・・」
やんなっちゃうと言うように、香が笑った。
「・・・ドジ・・・」
 僚が呆れた顔をして言った。
 自分の心配していた事ではなかったのに安堵しつつも、香の体に傷があるという事実が妙に腹正しい。
 僚の複雑な心境など、香が知る由も無い。
 僚は内心盛大なため息をついた。