不運
無粋な携帯電話の音が、室内に響き渡る。
「和斗、電話」
寛弥の声を無視して、和斗は彼女の首に唇を寄せる。
お互いすれ違いのスケジュールのせいで、まともな逢瀬は1ヶ月振りである。
和斗にしてみれば、電話などにかまってはいられない。
「・・・いいの?携帯よ」
その言葉に、ようやく和斗が顔を上げた。
「誰?」
和斗の言葉に、彼女は手を伸ばして、サイドテーブルで鳴っている携帯電話を手にとった。
「冴羽さん」
寛弥は液晶画面を和斗に見せながら、出ないわけにはいかないでしょ?と言うように差し出す。
「今、忙しい」
相手の用件も聞かずに、和斗はそれだけ言うと無常にも通話を切った。
「いいの?」
「今はこっちが大事」
和斗は耳元で囁くと、手を伸ばして携帯電話をサイドテーブルにおいた。
そして、中断していたブラウスのボタンをはずし始める。
すると、また携帯のコールが鳴り響く。
和斗は嫌そうに眉をしかめながら、再度手を伸ばして、携帯電話を取った。
「しつこいぞ!」
和斗は開口一番そう言うと、また通話を切ろうとした。
が、その手が不意に止まる。
和斗は2,3事返事を返すと、大きなため息をついた。
「ちょっと出かけてくる」
和斗はそう言うと、素肌にシャツを羽織った。
「トラブル?」
不安そうな顔で、寛弥が上半身を起こす。
「そんな大層なものじゃないよ。何か話しがあるっていうから。直ぐ帰るよ」
安心させるように和斗は微笑むと、寝室を後にした。
「お!今日はタコ坊主はいないのか!?」
僚は嬉しそうにそう言うと、カウンターに腰を降ろした。
「買い物に出かけてるわよ」
先に店に来ていた香が答える。
その時、店のドアが開いて一人の女性が入ってきた。
とたんに、僚の顔がいやらしく変化する。
「さ、こっちにどうぞ」
僚は素早く立ち上がると、女性を自分の席の隣に誘導しようとした。
「冴羽さん、ここにいたの?丁度よかったわ。聞きたいことがあったのよ」
その言葉に、僚が不思議そうな顔をした。
彼女は僚を無視すると、香の隣に腰を降ろした。
「コーヒーでいい?寛弥さん」
美樹の言葉に、寛弥が微笑む。
「で、俺に聞きたい事って?」
存在を無視され、少々いじけ気味の僚が自分の席に戻ると、尋ねた。
「そうそう。一昨日なんだけど、家の人に何か言った?えらく機嫌が悪いんだけど」
「一昨日・・・?」
僚は寛弥の言葉に、記憶を探った。
「お前、こんな所にいていいのか?」
店のドアが開くなり、海坊主がそう言った。
手には、大きな紙袋を2つ抱えている。
「なんのこった?」
「和斗に何かしたのか?あいつ凄い怒りようだったぞ」
海坊主の言葉に、さらに僚が首を傾げる。
記憶を探っても、そんな怒りをかった覚えはない。
「僚、お前和斗に早めに謝れよ。やっこさん、かなり怒り狂ってたぞ。お前に対して」
店に入るなり、ミックが僚に言った。
さらに深く、僚が考え込む。
「・・・本当に何も覚えてないの?冴羽さん。一昨日、あなたに呼び出されて帰って来てからなのよ。和斗の機嫌が悪いの」
寛弥が再度尋ねると、香が思い出したようにポツリと呟いた。
「一昨日って言えば・・・あんたが、ベロンベロンに酔っ払って帰ってきた日よね・・・」
香の言葉に、僚の顔が青くなる。
そう言えば、酔いに任せてかなりの事をした気がするのだが・・・如何せん、記憶が無い。
「一昨日って言ったら・・・僚、あれじゃないか?お前、嫌がるあいつを無理やり呼び出したくせに、もう用は済んだとか言って追い返しただろ」
ミックの言葉に、僚の顔が見る見る青から蒼白になる。
「そんなことしたの!?」
寛弥が驚いて、僚の顔を見た。
「ただのジョークだろ?」
僚が引きつった笑みで寛弥に言う。
「・・・冴羽さん、タイミング悪すぎ。いつもなら、ただのジョークで済んでたかもしれないけど・・・今度ばかりはそうもいかないわよ・・・」
「な・・・なんで?」
「冴羽さんに呼び出された日、やっとお互いの仕事が片付いた日だったのよ。それまでお互いすれ違いの生活をしてたから・・・1ヶ月振りくらいの逢瀬だったのよ」
「・・・俺、和斗に同情するわ」
ミックの言葉に、僚を覗く全員が頷いた。
「・・・早めに誤っといた方が賢明よ。冴羽さん」
美樹の言葉に、僚がいささかムッとした表情で呟いた。
「覚えてないのを、誤れって言われてもな・・・」
「覚えてない〜〜!!」
僚の呟きを聞いたとたん、全員が口を揃えて怒鳴った。
「最低〜!!」
女性陣から一斉に突っ込まれ、ミックには同情的な目で見られ、海坊主には呆れられる。
「・・・お前、暫くは身辺に気をつけた方がいいぞ。絶対和斗に狙撃される」
ミックの言葉を、僚は笑い飛ばした。
「いくらなんでも、そこまではしないだろ!?」
しかし、誰も笑う者はいなかった。
僚の笑い声が空しく店に響く。
「冴羽さん、笑い事じゃないわよ。あたし、久しぶりに見たもの。あの人があそこまで怒ってるの」
その言葉に、僚の笑い声がしぼんでいった。
翌日、僚は一発の銃声で目が覚めた。
窓ガラスが割れると同時に、隣に寝ている香の腕を掴んで、素早くベッド下に見を隠す。
「どうしたの!?」
香は突然の出来事に、驚いて僚に聞いた。
「じっとしてろ!!」
僚は香を押さえつけると、様子を探った。
暫くして、2発目が無い事を確認すると、ようやく香の上から体をどかした。
「和斗のやろ〜〜」
僚は怒りを露にすると、急いで身支度をして部屋を出て行った。
その後を香が慌てて追いかける。
「和斗いる!!」
僚はチャイムを鳴らすと同時に、出てきた寛弥にそう言った。
「今、寝てるけど・・・」
さすがに伝説のスイーパーと暮らしているだけあって、僚の怒りの怒気にも同じる様子は無い。
僚は寛弥の言葉を最後まで聞かずに、彼女を押し退けて家の中に足を踏み入れた。
「ちょ・・・!?冴羽さん、待って!!」
寛弥が慌てて僚の後を追う。
昨日仕事のために遅かった和斗は、今安眠の真っ只中である。
しかも、仕事明けの眠りを妨げられるのを思いっきり嫌がるのだ。
よほどの事が無い限りは、寛弥も傍には決して近寄らないし近寄るなと言い含められている。
職業柄、気配に敏感なのは仕方が無い。が、特に仕事明けは神経が研ぎ澄まされているため、どんなに親しい人間でも傍にいると神経が休まらないのだ。
「お前、一体どういうつもりなんだ!!」
僚は勢いよく寝室のドアを開け放つと、和斗に怒鳴った。
和斗は突然の訪問者に、気だるそうにベッドから起き上がた。
「・・・何の事だ?」
かなり不機嫌な様子で、和斗は僚を睨みつける。
「昨日の植木鉢の件と今朝の狙撃の件だ!!やったのお前だろ!!」
その言葉に、益々和斗の機嫌が悪くなる。
「頭上に植木鉢を落とすようなせこい攻撃してくるのは、お前ぐらいしかいないだろうが!!」
訳の分からない言いがかりに、今や和斗の怒りは頂点に達していた。
和斗はサイドテーブルに置きっぱなしにしてあったパスポートを、僚の胸目掛けて放り投げた。
条件反射で、僚はそのパスポートを受けとめる。
「俺は、昨日最終の飛行機でニューヨークから帰ってきたんだ。その人間が、どうやったらお前の頭上に植木鉢を落として、今朝狙撃出来るんだ?」
僚はパスポートに挟んである旅券を見て、顔が引きつった。
確かな証拠が自分の手にあるのだ。
「今更、ジョークだって言っても・・・遅いよな・・・」
僚の言葉に、和斗はジロリと怒りを含んだ目で見る。
「・・・遅かった・・・」
寛弥は寝室の光景を見て、ポツリと呟いた。
とたんに、和斗に睨まれる。
(止められなかったあたしも、同罪ってわけね・・・)
寛弥はそう思うと、火の粉が降りかかる前に早々にその場を立ち去った。
「寛弥さん!僚、来てる!?」
香は慌てていたため、チャイムも押さずに家の中に足を踏み入れた。
そして勝手知ったるといった様子で、寛弥の姿をキッチンに見かけると尋ねた。
寛弥は静かに紅茶を飲みながら、黙って私室の方を指差した。
香は教えられた部屋のドアを開けると、そっと中を覗き込んだ。
部屋に置かれているソファーに和斗が腰掛け、その前に僚が正座している。
とたんに、和斗の怒りを含んだ鋭い眼差しが香に突き刺さる。
何十年振りに見る思い出したくも無い光景が、香の脳裏によぎった。
香は慌ててドアを閉めると、逃げるように寛弥がいるキッチンに向かった。
「香さん、朝食は?」
寛弥の言葉に、香が首を横に振る。
僚を追いかけるのに必死で、朝ご飯どころではなかったのだ。
「どうせなら、一緒に食べない?・・・当分、終わりそうもないわよ」
寛弥の言葉に、香はそれもそうね・・・と肩を竦めた。
「正座させられて、説教されただ〜〜!!いい大人が・・・正座で説教・・・」
堪らないといった様子で、店の女主人の美樹やミックがお腹を抱えて爆笑していた。
「お前らは、あいつの様子を知らんから笑ってられるんだ」
僚の言葉に、寛弥と香が頷く。
「自業自得だ」
一人、事情に通じている海坊主が呆れた口調で言った。
「あれは、正座させられるというよりも、条件反射で正座しちゃうのよ」
「確かに・・・」
寛弥の言葉に、香が同意する。
そして、ハタと気が付いたように、慌てて口を押さえた。
「その言葉から察するに、2人共経験者?」
美樹が興味津々といった様子で聞いてきた。
3人は顔を見合わせ、同時にため息をついた。
まるで、聞いてくれるなと言わんばかりの様子に、美樹とミックが顔を見合わせた。
「お前はいいわな。小さい頃の話だろ?」
僚の呟きに、寛弥が頷く。
「あたしなんか、つい最近よ!!しかも、やっと怒りが解けたのに・・・冴羽さんのおかげで、まき沿い食ったのよ・・・」
「・・・参考までに聞くけど・・・何やったの?」
「・・・朝帰り・・・」
「それは、また・・・」
「・・・言っとくけど、言葉どおりにとらないでよ。かずえさんと飲んでて、酔っ払って連絡するの忘れただけなんだから」
「・・・あれって、一種のインプリンティングよね・・・」
香のため息混じりの言葉に、僚と寛弥が頷く。
「早いうちに、誤って許してもらったら?」
美樹の言葉に、3人が首を振る。
その様子に、ミックが不思議そうな顔をした。
「何で?寛弥ちゃんだって、謝ったから許して貰えたんだろ?」
「それは、そうだけど・・・あんな恥ずかしい台詞、2度と御免よ!あの台詞を言うくらいなら、1年でも2年でも怒りが解けるのを待った方がマシよ!!」
寛弥がため息をついてそう言う。
僚と香も同じ様にため息をついた。
「・・・まぁ、確かに・・・その歳であの台詞は恥ずかしいな・・・」
海坊主の言葉に、3人が頭を抱え込む。
「そもそも、原因は僚だろ?何でお前達まで真剣に悩んでるんだ?」
海坊主の至極もっともな疑問に、香と寛弥が顔を上げた。
「そう言われてみればそうよね・・・何であたし達まで悩んでたのかしら?」
香が不思議そうに呟いた。
言われてみればその通りである。そもそも、説教をされたのは僚1人であって、決して3人ではない。
「和斗の視線がいけなかったんだわ。あれで自分達も怒られている様に感じてしまったのよ」
「何か、勘違いして真剣に悩んでた自分がバカみたい」
香の言葉に、寛弥も賛成する。
「香さん、気晴らしにこれからショッピングに行かない?」
「いいわね〜行きましょうか」
2人は連れ立って店を出ようとした。
その後姿に、僚が慌てて声をかける。
「俺はどうなる!?俺は!!」
「自業自得。自分で何とかしなさい、僚」
香のありがた〜いお言葉に、僚がいじけて床にのの字を書いた。
そんな僚の姿に、寛弥が声をかける。
「いくらあの人でも、素直に誤った人間を何時までも怒ってるなんて事はないわよ」
「・・・やっぱそれしかない・・・?」
僚の何とも言えない情けない呟きに、寛弥が神妙に頷く。
「でないと、香さんと朝を迎えられないわよ」
その言葉に、僚の顔が引きつる。
「冴羽さん、今誤ればまだ間に合うわよ。プライドをとるか、幸せをとるか。よく考えて」
寛弥の言葉に、僚は盛大なため息をついた。
後日、喫茶キャッツ・アイでは――――
僚があの台詞を言ったかどうかという話題で盛り上がったそうだ。
もちろん、その間僚がキャッツ・アイに近寄らなかったのは言うまでもない。
−おまけ−
「ねぇ、ファルコン。寛弥さんが言ってた、恥ずかしい台詞ってどういうの?知ってるんでしょ?」
その日の夜、美樹は店の後片付けをしながら昼時の疑問を口にした。
この世の終わりのような顔で店を後にした僚の顔を思い出したのである。
「別に、変な言葉じゃないぞ」
「だったら、何であんなに嫌がってたの?あの3人」
海坊主は、ため息をついた。
「『私が悪かったです。深く反省しております。2度とこのようなご迷惑をおかけしません。どうかお許しください』この台詞を、和斗の前で正座して言うんだ。もちろん、最後は深々と頭を下げてな」
「・・・確かに、この歳でそれは嫌ね・・・」
だろ?と言うように、海坊主が肩を竦める。
「でも、保科さんじゃないとしたら、一体誰が冴羽さんを狙ったの?」
「根本的に間違ってるんだ」
「どういう事?」
「あの後、気になって和斗に連絡をとったんだが・・・植木鉢は僚を狙ったんじゃなく、別の男を狙って落とした物らしい。偶然、その落下地点に僚が居たんだそうだ」
「狙撃は?」
「ビル間違いだ。向かいの女癖の悪い雑誌記者を狙った犯行だ」
「・・・どうやったら、間違うわけ・・・?」
美樹は思いもかけない理由に、呆然として呟いた。
「どっちも、素人らしいからな。犯人にしてみれば、自分が狙っている男が裏の人間だなんて思ってもいないだろ」
「・・・ミックに知らせなくていいの?」
「和斗がケリ着けてある。心配はない」
「和斗さんが?」
以外な答えに、美樹の目が驚きに見開かれる。
「なんだかんだ言いながら、あいつなりに気にしてたんだろ。あいつは昔から甘いからな。僚と香には」
「冴羽さんと香さんに甘いっていうなら、寛弥さんは溺愛クラスね」
美樹のおどけた口調に、海坊主が微笑んだ。
「あの男に張り合えるのは僚くらいだろ」
「言えてる。冴羽さんも溺愛してるものね・・・香さんを」
美樹はそう言うと、微笑んだ。
もしこの場に和斗と僚がいたら、間違いなく2人も海坊主に反論していただろう。
お前に言われたくはない!!と・・・