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【余市水産博物館提供】
ニシン漁は想像を絶する漁獲量を、短時間のうちに処理しなければならないので、それぞれの役割がきちんと決められた、実にシステマチックな作業でした。
三月上旬になると、前年に網蔵に格納していた身網、垣網、枠網などを廊下〔ニシンの集積と処理場〕に並べ、総点検を行い、前年に痛んだ部分や、ネズミにかじられた個所の補修を行います。
その一方、若い人たちは番屋周辺から船揚場、干し場等の除雪をします。
それが終わると、格納していた各種の保津船ゃ伝馬船を浜まで引き出し、船の傷んだところや、櫓のセットを行います。
そのほかにも、建網一カ統に使用する膨大な用具〔1500種類に及ぶ〕の手入れが待っているのです。
定置網である建網を固定するためのアンカー、すなわち砂利等を詰め込んだ土俵作りにかかります。
その他、ニシンを処理するための木架〔納屋、なや〕、ニシン粕製造の大釜の整備、製品荷造りのための俵、木箱、むしろ、縄などを準備にかかります。
すべての作業は、建網一カ統の大船頭の指令により行われ、三月二十日頃までに終了させました。
これらの一連の作業が済んだ天候のよい日に、船頭は建網一カ統の定位置に型入れを行います。この建網一カ統の位置は道庁が決定している陸地の元標、副標に基づき決めていきます。
幅約54m、奥行無制限の範囲が建網一カ統の、いわば縄張りとなります。
身網、垣網、の位置に土俵と呼ばれるアンカーを施設してダンプ〔浮き標〕、ロープで結び付けます。
この作業は漁獲量にかかわる重大なものなので、経験豊富な大船頭が慎重に陣頭指揮を行ったとのことです。
準備終了後、網おろしの儀式が行われます。
番屋に祭られている神棚にお酒、供物、灯明をし拍手を打って全員で大漁、安全祈願を祈ったのです。
その後、皆お待ちかねの大宴会に入ります。
漁夫はじめ作業員の士気鼓舞のため盛大に行われました。
飲めや歌えのどんちゃん騒ぎになったとのことですが、なんだか目に浮かぶようです。
ニシン漁は一瞬の隙もない、時間と時間の戦い、入るか入らないかの戦い、まさに戦場のようなものですから、戦友か同志の感覚に似ていたのでしょう。
持ちつきも行われ直径20cmもあるような豪勢な餅が、隣近所にまで配られたとのことです。

網投し作業に向かう
この後、いよいよ船に網を積み込み、網投し作業に入っていきます。
夕方から枠船に三人、起し船に十五、六人乗り組み、身網に対峙して位置につきます。
船には簡単な屋形がかけられ、見張りを残して仮眠しました。
船には飲料水を入れた水樽、ご飯の入った角おひつ、味噌、漬物が積み込まれ重作業にそなえました。
刺し網を入れ、雑魚を採りおかずとしたと言うことです。

屋形をかけた起こし船
ニシンはいつ何時やってくるかははっきりしませんが、北西の風が収まり、どんよりとしたうす曇の空に、ゴメ〔カモメ〕の乱舞が見え始めたら、いよいよ来群の到来です。
ニシンは群れをなし、沖から海岸へ向けて産卵のために向かって回遊してきますが、仕掛けた網に入る〔網に乗る〕のかどうか、入ってもどのくらい入ったのか判断するのは難しく、経験豊富な船頭が見網の入り口に垂らしてあるサワリと呼ばれる糸でその量を判断し、前垂れ網と呼ばれる網を引き上げ、網を閉じます。
少なくても困るし、多すぎても網が破れてしまうので真剣勝負の判断です。
およそニシンの量が二、三十石〔15-23トン〕が入り、いよいよ網を起こします。

【小樽ニシン御殿提供】

伝馬船、枠く船、起こし船【余市水産博物館提供】
起こし船に乗り組んだ十五、六人が一斉に網をたぐり、枠船に向かってニシンを攻め込みます。
この網起こし作業時にキリ声と呼ばれる呼吸を合わせるための音頭がかけられます。
熟練した船頭でなければとうてい出せない、勇壮な気持ちが高まる節回しだったと言うことです。
枠船には枠網と呼ばれる収容量約300石〔230トン〕に及ぶ大きなもので、船の下に吊り下げられ、何度か攻め込み、いっぱいになった時点で浜に向かって運搬に移動します。
100トンを越える網を下げた枠船の移動は、想像しただけで大変そうです。