ニシン漁の栄華と夢



早春のニシン曇りの日々、日本海の沖を見つめ続ける人々がいます。
風は冬の厳しさだが、わずかに春の気配が感じられ、かすかな期待を持っているのです。恐らく来ないとわかっていても、心が騒ぐことを押さえきれません。

「幻の魚」になった今でも北海道に春を告げるニシン漁は、人々の暮らしと記憶に色濃く残され、「ニシン大漁」の見果てぬ夢が静かに残っているのです。
ニシン漁は一攫千金をねらう夢追い漁であったが「豊漁」「凶漁」と気まぐれに押し寄せるニシンに翻弄され、莫大な資金を投資してニシン建網しても、賭に近いものでした。


ニシンの生態と分布 謎の魚と言われるニシンの生態や分布について
ニシン漁の歴史 めくるめくニシン漁の歴史について
ニシン建網漁法 1 ニシン漁の代表的建網漁のシステム
ニシン建網漁法 2 建網漁の圧倒的漁獲は想像を超えています
ニシン加工処理1 ニシンの加工は戦場のようなものでした
ニシン加工処理2 処理システムは今よりシステマチック
道内各地の番屋 残存しているニシン番屋はそれぞれ独自性があり興味深い。
小樽、余市、浜益、増毛、留萌、小平、江差を始めとする番屋、資料館を現地取材の上紹介します。
生活用具 漁業主 漁場主達の生活は江戸にもないと言われた程です
漁労道具 機械類はほとんど使用しない作業は厳しい


浜にびっしりと並んだ建網であっても、気まぐれな回遊は何処にはいるかわかりません。

借金して仕掛けた網に入るとは限らす゛、破産する者数多かったのです。

また豊富な資金を持ったところに入ると、さらに富裕となり「ニシン御殿」という驚愕すべき建物さえ持つことが出来たのでした。
漁夫達は、立ちながら食事をし、夜も寝ずに働いても漁場主には全然及ばなかったが、出稼ぎとしては破格の賃金でした。
人々は悪い結果は忘れ去り、めくるめく大豊漁だけが思い出として残ったのです。

最後の郡来は昭和29年なので、それからすでに50年ほど経過し、実際に郡来を体験した人たちは、60歳台以上になっています。
ニシン漁の舞台となった道南松前から、道北の小平町にかけ、いまでもニシン番屋がわずかに残されていますが、博物館として記憶されているに過ぎません。

しかし、全くかなわない夢とも言い切れないのがニシン漁です。
1999年の3月,日本海側の留萌市でニシンの群来が45年ぶりに観察されたのでした。
もちろんほんの小規模であったが、まさに郡来でありました。


昔の北海道、サハリン系ニシンではなく、石狩湾系であるので今後に大きな期待は無理ですが、夢は一本の糸でつながっている事が実証されました。
西高東低の気圧配置が崩れた3月になると、人々は、やはり沖を見続けるに違いありません。
いつかはやって来る、そう、必ずニシンはやって来るのです。


ニシン漁法、生活、製品、道内各地の番屋など取材中です。
今後、順次掲載していきますのでご期待下さい。

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