管理人のぼやき日誌 2012年1月〜6月
| 2012年2月23日 | 2012年2月22日 宮城県気仙沼市に仕事の為(復興関連ではないが)二週間ほど滞在しました。 毎日被災地の現場に立つこととなりましたが、海岸線から約1キロメートルから2キロメートルあまりの間は建物の基礎を残し、全く何も残っていないことに改めて津波の破壊力のすさまじさがわかりました。 ![]() 三階建ての上を越え屋上に瓦礫が残っています たとえ10mを越える津波に耐えたとしても二階,三階の内部は瓦礫と化しているのです。 震災からもうすぐ一年がたとうとしていますが、瓦礫の撤去がほぼ完了しつつあるだけで 本格的復興は進んでいるようには見えません。 一方、津波の一撃を受けなかった海抜15m以上の家屋は通常通りの生活を営んでいます。 その驚くべき差というべきか、運というべきか、言葉も出ません。 ![]() 鉄骨作りの建物もぐしゃりと潰れています テレビや、インターネットなどで見聞しただけではわからない現実がここにありました。 気仙沼市内を松崎片浜〜赤岩漁港〜潮見町〜魚町と一通り歩いたのですが、ひとつの例外もなく甚大な被害状況であり、地盤沈下も1m程下がっているのが嵩上げした仮設の道路で良く分かります。 仮復旧しているのは前述の仮設道路と一部の信号機のみなので夜になると真っ暗となり、経験したことのない漆黒の闇は、経験したことがないだけに背筋の氷る思いがします。 テレビの報道を見ていて、どうして地震発生から時間が有ったのに逃げ遅れた人があれほどいたのだろう、すぐ逃げれば助かったのにと思っていた自分のおろかさに気が付きました。 ![]() 街の中はローソンの看板と2〜3の街灯を除き信号機も点灯していない漆黒の闇 平野部では2キロメートルを津波に気づいてからでは逃げ切れないし、地震と同時に落ちた電気のため津波の情報が全く受け取れず、姿を現した黒い壁のような津波を目前にしては、なすすべもなかったのでしょう。 「でんでこに逃げろ」という言い伝えがあるそうです。 人のことはかまわずに、まず自分が安全なところに逃げるのだ、逃げ遅れた人がいないか心配してもどり、非常に多くの犠牲者を出した明治、昭和の三陸海岸大地震の後言い伝えになっているのですが、残念ながら生かしきれなかった。 ![]() バス会社の駐車場で被災したバス、人が乗っていなかったことを祈りたい 「禍は忘れた頃やってくる」阪神大震災から16年、忘れもしない頃に、かくも恐ろしい出来事が発生するとは誰が予想したでしょう。 そうです、政府や、地震学者も予想も、警告も、何も出来なかったのです。 TVで学者たちが深刻な顔をして説を唱えていますが、皆後出しじゃんけんにすぎない。 プレートテクトニクス理論でわかっていても、地震の発生を正確に出すことは全く不可能であることが証明されたといえるでしょう。 莫大な政府予算、大学の予算は彼らの食い扶持に無駄に消えてしまった。 ![]() 海側は外壁が崩れています 自分の命は自分で守る、情報も大切だが情報が途絶えた後、自分の直感を信じ、自分で行動し身を守る。 人を当てにしない、現地に立ち考えた結論でした。 今日現在、人々は立ち直ろうとしています。 長く、辛い道のりですが必ず復興するに違いありません。 ![]() こんなに頑丈な鉄筋コンクリートの建物も内部は一撃で全て流されていました ただ、福島においては、禍の大元、東京電力福島第一原子炉があるために、復興どころか、瓦礫の撤去すら全く手が付けられていない。 離散した住民の思いは計りしれません。 ![]() 陸に押し上げられた330トンもある大型漁船第18共徳丸、これはニュースに良く出てきます、津波の記憶を後世に残すため記念碑として残すことが論議されています。 |
| 2012年1月23日 | 先日のニュースで「米写真用品メーカーの草分けであるイーストマン・コダックは1月19日、ニューヨークの破産裁判所に連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)に基づく会社更生手続きの適用を申請した。」と報道されました。 創業者、ジョージ・イーストマンが写真用乾板の商業生産を始めたのは130年ほど前の1880年。8年後には、フィルムを装填(そうてん)したカメラを「コダック」の商標で売り出し、1935年には業界標準となるカラーフィルムを発売して話題をさらった。業界での存在感や世界的シェアは圧倒的となっていました。 「コダックイエロー」と呼ばれた黄色いパッケージの写真フィルムが市場にあふれ、首都ワシントンの写真用品店は「コダックは別格。黙っていても毎日何十本とフィルムが売れた」と言われた。 私も昔には、赤が印象的に鮮やかなコダクローム64や緑が映えるエクタクロームを愛用していましたが、フイルム以外の事業が会社を支えていると思っていたので、まさかそのコダックが破綻するなんて意外でした。 しかし、1980年代に入って富士フイルムなどライバルとの競争が激化。さらに皮肉なことに75年にコダックが初めて開発したデジタルカメラの普及が、業績の落ち込みに拍車をかけてしまうことになったのです。 写真フイルム事業の先細りを見切った富士フイルムは液晶デイスプレイ用フイルム、化粧品、医療分野などに多角化し、成功、写真フィルム部門の売上高は会社全体の売上高の5%にも満たないという現実があります。 デジカメの創生期にはニコンと組んでカメラボディを小型軽量化したニコン社8008Sをベースに、CCDセンサーを組み込んだ世界で初めての一体型モデル「DCS200」を発売したものの、その後の日本メーカーの展開についていけないのは誰の目にも明らかだったのです。 デジカメ関連の機器開発でも後手に回り、写真のデジタル化を徹底して追求したライバルに対し、コダックの「中途半端な多角化」がかえってあだになった格好でしょう。 これで銀塩写真の歴史に幕が下りることは確実になり、極めて近い将来フイルムは存在しなくなります。 残念ですが、これも時代の流れで仕方ありません。 私も今所持している銀塩カメラを歴史の遺産として大切にしていこうと思います。 |
| 2012年1月15日 | 広瀬隆氏著の「原子炉時限爆弾」を読んで考えたこと。 広瀬隆氏著の「原子炉時限爆弾」は昨年の東日本大震災3.11の前年2010年8月26日発行に、原発の危険性を地殻構造の活断層から、プレートテクトニクスをわかりやすく、かつそれゆえにいかに日本の原発が不安定で、差し迫った危険を持っているのか書いてある。 発行されてから七ヶ月で、地震の場所は日本海中部地震の柏崎原発や東海地震の浜岡原発とは少し違う、三陸沖で発生し、その警鐘がまことに的確で正しいものか明らかになったのです。 それまで、政府、電力会社、原子力保安院、政府、電力会社御用達の御用学者たちの主張、すなわち地盤は固く断層などない、津波の発生はせいぜい5m位で堤防が防いでくれる、万が一電力が全切断されたとしても、非常用ディーゼル発電機で注水が行なわれ、原子炉の冷却は間違いなく守られる。 そのすべてが嘘であり、どれ一つとして政府、電力会社、御用学者の利益だけを考えていたことが立証されました。 咽喉もと過ぎれば暑さを忘れると言うように、東日本大震災から10ヶ月過ぎた今日現在、原発に関しては何も変わっておらず、これからも特に変わろうとする気配すら何もない。 2012年1月10日、原子力安全基盤機構が検査も何もせずに、電力会社の報告書を丸写しをしただけの報告書を政府に提出していたことが明らかになった。何をかいわんやです。 検査を実施する要領書の本体が、検査対象の事業者が作成したものだったなど、ずさんな組織運営が問題視されている原子力安全基盤機構について、同機構の「検査等業務についての第三者調査委員会」が12日、13項目にわたり具体的な改善を求めた報告書を公表しました。 この法人には電力会社、政府から天下りの人々で埋め尽くされ、自分から何もせず税金だけをむしりとる、有能であるが、国民にとっての安全に対して無能な人間の集合体であるのは明らかです。 これはなにもこの法人だけではないでしょう。政府にしても、原子力保安機構にしても、電力会社にしても、明日起こるかもしれない大地震に対する的確な態度や方針は何もないに等しい。 日本は島国です。何があっても逃げ出すことなど出来ないのです。であるからこそ、事故が起これば半減期数万年の放射性物質がまかれ、故郷を失う前に原発の停止、そして廃止を目指さねば未来は本当に何もない。 権力者をはじめ今日現在、老い先のない人々は無責任と言えます、自分たちさえ良ければ、未来の子孫はどうなっても良いと考えているのではないでしょうか。 たとえ、総電力量30%の原発廃止により、電力不足になったとしても、節電や、努力により克服できるものと私は考えるし、そうせねばならないと思います。 頭の上にいつ落ちてくるかわからぬ爆弾を抱えながら贅沢三昧な生活を続けるのと、貧しくても安全で健康な生活とどちらが良いのか。もし継続して原発が゛使用されていくならば、いつか必ず近い将来、極めて近い将来に想像を大きく越える事故がおきるのです。 これは、東海、東南海、南海地震が発生することにより浜岡原発が壊滅的な事故を起こし、新幹線、高速道路の全面停止のみならず、首都圏東京に放射能汚染を引き起こし、それにより日本全体が脳死状態になることを意味する。 東海、東南海、南海地震が起こる確率は30年以内に88%であるという。しかし、これはあくまでも確率であり、いつ起こっても不思議ではない。明日起こるかもしれない、いやこうしている今日すぐにでも起こるかもしれない。 「東海地震は明日起きてもおかしくない」と、本気で言われ始めたのは1976年ころから。その後36年間、巨大地震は首都圏・東海地方を素通りし、北海道や関西、新潟、東北地方を襲った。御用学者はそのたびに「想定外」を繰り返す。 「地震予知なんて、やっぱりできないんじゃないのか?」。 多くの人がうすうす気づいているはずなのです、だが利益誘導の学説ばかりが強調される。 直前の地震予知は恐らく不可能であるがゆえに、いつでも起こるとの前提に立たなければ明日はない。 地球は生きている、動いている、日本はユーラシアンプレート、太平洋プレート、北米プレート、フイリピンプレートに囲まれた世界で一番危険な地帯であることを常に頭の中心においておかねばならない。今からではもう遅いかもしれない、いやたとえ遅いとしても我々には未来への責任がある。放射能の危険のない安全な国土を遺す責任が国民の一人ひとりにあるのと考えます。 |
| 2012年1月1日 | 2012年1月1日 昨年よりJAZZにはまりっ放しとなり、聞く時間より収集する時間の方が長くなっていた私ですが、 ようやく年末、年始でゆっくりと溜まったLP,CDを聴いております。 ただ聴くだけではなく、ライナーノーツを読みながら聴くと、さらにアルバムへの思いが深くなるのは 言うまでもありません。 JAZZ本の巻末に簡単なディスコグラフィが付属していることはあっても、メジャープレイヤー以外で 詳細に載せているものは極めてまれなのは現実です。 最近、エリック・ドルフィのディスコグラフィ(167p)を入手。 メジャー出版ではなく、底本があるにしても、なんと個人が、完璧に近い物を作った。 データはもちろん新しい。新たに発掘された録音や情報についても、あらゆる方面から収集して 掲載している。 デイスコグラフィの役目としての録音データのみならず、ノート、エピソードを本、新聞、雑誌 などの記事から引用して載せているので、読み物としても飽きることはない。 ドルフイについて書かれた本は晶文社のエリック・ブルフィくらいしかない現在、この個人作成 のディスコグラフィはファンにとって他には得がたい貴重な資料と言えます。 ![]() このディスコグラフィは完全手作りでごく少部数作られただけのようですが、ドルフィーファン の方に若干なら頒布代金(製作実費+送料で2,500円)でお分けできるようです。もし興味の あるかたがいらっしゃったら、この小樽路地裏散歩メインページ下の 「このページについて, ご意見ご感想などをお寄せください」からメールでお問い合わせください。 作者のメールアドレスをこちらからお知らせします。 |